2011年3月11日。当時、千葉県千葉市に住んでいた私は、勤務地の船橋市で東日本大震災に遭いました。震度5弱の揺れは、今まで経験したことがないほど大きく、恐怖を感じました。
地震が起きた直後から、私の身の回りでは次々と「想定外の出来事」が起こりました。津波警報が発令され身動きが取れず、また職場の近辺では液状化で道路が歪んだり、水道が破裂してマンホールから滝のように水が吹き上がったりして、これからどうなってしまうのか不安でしかたありませんでした。
また、地震そのものへの恐怖以上に、移動ができないこと、ものが手に入らないことなど、生活に大きな影響を与えたのです。
当時は「こんなことになるとは思っていなかった」と感じることばかりでしたが、のちに振り返ってみると、平時に備えておけば心構えだけでもできたのでは、と思う場面が多くありました。
今回は、東日本大震災の直後に私自身が経験した“想定外だったこと”と、その経験から学んだ防災の考え方についてお伝えします。
移動手段が大混乱。20分の距離が3時間に
地震発生後、首都圏の多くの路線は運休し、電車は動かなくなりました。職場から自宅までは、通常であれば車で20分ほどの距離です。しかしその日は、道路に一斉に車があふれ、まったく前に進まない状態になりました。
信号は停電で止まり、主要道路の交差点では警察官が手信号で交通整理をしていました。大きな通りはすでに大渋滞。普段はほとんど車通りのない抜け道すら、渋滞により動けない車ばかりで、どこを走っても同じような状況でした。
「少し待てば動くだろう」という予想は外れ、結果的に自宅にたどり着くまでに3時間以上かかりました。
写真提供:PIXTA 帰宅困難者になったときを想定しておくことが大事
都心部では電車が止まり、タクシーも捕まらず、会社で一晩過ごした人や、徒歩で8時間近くかけて帰宅した人もいました。
この経験で痛感したのは、帰宅すること自体がリスクになる場合があるということです。首都直下地震では、東京都市圏で約840万人の帰宅困難者が発生すると言われています。
災害の影響で交通手段の混乱がある場合は、無理に移動せずに、職場や安全な場所にとどまるという選択肢を持っておくこと、また災害が起きた場合にどう行動するか、家族や職場で事前に話し合ったり共有したりする必要性を強く感じました。
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コンビニの棚から、飲食料品が消えた
地震が発生した夜、飲食料品など生活に必要なものを買っておこうと近所のコンビニに行くと、棚はほぼ空の状態でした。おにぎりやパン、カップ麺はもちろん、おやつや飲み物もありませんでした。普段なら当たり前に商品が並んでいる光景が、一瞬で消えてしまったことに大きな衝撃を受けました。さらに衝撃だったのが、物流が止まって商品が運ばれず、急遽休みにせざるを得ない店が続出したことでした。
写真提供:PIXTA コンビニもスーパーからも食べ物がなくなりました
当時はまだ防災意識が低く、自宅に防災用品も食料のストックもありませんでした。職場にストックしていたカップ麺を持ち帰って、どうにか1週間、凌ぎました。買い物ができないだけではなく、「今日は何を食べられるのか」という不安が一気に押し寄せたのをはっきりと覚えています。
この経験から、災害時に「必要になってから買う」のでは遅いことを実感しました。最低でも1週間程度、家族が自宅で過ごせる飲食料品を備えておくことは、命を守るだけではなく、精神的な安定にもつながります。
