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東日本大震災から15年、被災した漫画家が“罪悪感”から長年語れなかったワケ「避難所に行かず自宅で過ごす選択」<漫画>

東日本大震災から15年、被災した漫画家が“罪悪感”から長年語れなかったワケ「避難所に行かず自宅で過ごす選択」<漫画>

宮城県仙台市在住の漫画家・アベナオミさんのコミックエッセイ『今日、地震がおきたら』(KADOKAWA)。アベさんは宮城県利府町で東日本大震災の被災を経験し、避難所ではなく幼い息子と夫とで自宅に残る道を選びました。

 東日本大震災では、アベさんのように「在宅避難」をしていた人が多くいたといいます。在宅避難とは、避難所へ行かず、自宅で生活を継続する避難方法のこと。電気や水などのライフラインが止まる中、いったいどんな生活をしていたのでしょうか。

「津波で家を失った人と違って、自分は本当の被災者じゃない」そんな引け目から長年語ることができなかったというアベさん。震災から15年という節目に、ようやく世に出すことができたといいます。

 本記事では、書籍より震災当日のエピソードを紹介。2016年に、防災士の資格を取得し、防災に関する知識を広めているアベさんに、在宅避難の実態や、震災当日の記憶について聞きました。

※東日本大震災の被災体験を描いた漫画を紹介しています。地震や津波を想起する文章・イラストがありますのであらかじめご留意ください

※本記事は全3回のうちの1本目です















在宅避難のつらさ、語れなかった15年

――今回、東日本大震災での、在宅避難生活(避難所に行かず自宅に留まること)をテーマにしたのはなぜだったのでしょうか。

アベナオミさん(以下、アベ):震災の報道では、まずは避難所や、被害の大きかった場所が取材されることが多かったと思います。そのため、被災地といえば避難所がイメージされると思うのですが、実際には在宅避難をしている人も大勢いました。

ただ、私のように在宅避難をしていた人たちは、津波の被害に遭われたり、ご家族を失った方に対してすごく引け目を感じていました。不便ではあっても、自宅の布団で眠れたり、トイレで用を足せることに、罪悪感を持つ人はすごく多かったです。そのため、「自分たちは恵まれていたのだから、大変だったと言ってはいけない」という気持ちがありました。

それでも、水道や電気などのライフラインがストップした中でどんな生活をしていたのかを、作品として残さないといけないと思ったんです。

――震災から15年という節目で、本を出したことには理由があったのでしょうか。

アベ:15年というのは、やはり大きな区切りだと思います。実は2016年に防災士の資格を取得し、翌年に防災に関する本を出版したんです。その時は、「あなたは津波に遭っていないんだから被災者じゃない」「被災者じゃないのに、こんな本を出すな」という意見がたくさんありました。その時、やはり一般的にイメージされる「被災者」は、津波の被害に遭った方なんだと痛感しました。

15年が経ったことで、在宅避難をしていた被災者の話も、受け入れていただけるようになったと感じています。ドラマティックな出来事は起きないのですが、震災後に私たちがどんな生活をしていたのかを見ていただくことで、防災に役立てていただきたいと思っています。

この本を参考に、いざという時に在宅避難をして「自助(自分の命は自分で守る)」ができる状態を作ってもらえれば、被害の大きい人に救助の手が回るようになり、間接的に人命救助につながると考えています。

震災当日の記憶「海の方向から爆発音が」

 アベさんの自宅と夫の実家は利府町、アベさんの実家は多賀城市、夫の職場は塩釜市(震災当時)――震災の当日、アベさんはどこで被災したのですか?

アベ:私はちょうど車の運転中でした。宮城県利府町の新幹線車両基地前を運転しているとき、ハンドルがとられるような感覚があり、周囲の車も異変を感じたのか、路肩に寄り始めました。すると、海の方向からボカーン! と爆発音のような物凄い音がしたんです。

大きい揺れが続くなか、ドカンドカンと3回ほど大きな音が続き、少し揺れが収まってきた頃、カーラジオを付けたことで、「これ、地震なのかな?」とやっと気づきました。ただ、地震の直後は津波がきていることもわからなかったし、こんなにも広範囲に渡る巨大地震だとは思ってもみませんでした。

『今日、地震がおきたら』(KADOKAWA)――地震発生直後はどう行動したのですか?

アベ:1歳の息子を保育園に迎えに行かなければいけないと思ったのですが、その途中に自宅があったので、子どもを連れて帰れる状態なのか確認することにしました。

自宅は玄関の天井の照明が落ちて割れており、ガラスの破片が靴に突き刺さっていました。家族全員が普段から履き慣れている靴を履いていたという点では、昼間の時間帯だったことは幸いだったかもしれません。また、振動のせいか、二重ロックをかけていたのにすべての窓が開いていました。リビングも物が落ちたり割れたりしていたので、子どもを連れて帰る前に確認してよかったと思いました。

――津波の心配はなかったのですか?

アベ:自宅は内陸5kmくらいの場所だったので、普段は海を感じずに生活をしており、津波を恐れる感覚がありませんでした。ただ、夫の職場は塩釜市にあり、海から500mくらいの場所なので心配でした。それでも、大きな被害を想定していたわけではなかったです。

息子を保育園に迎えに行き、実家の安否確認をして車でそのまま夫の会社のほうへ向かってしまいました。すると、途中で「ここから先は津波の危険があるため進めません」と通行止めになっていたんです。それで諦めて引き返すことにしました。「夫は死んでしまったかもしれない」と絶望的な気持ちでした。夫は、乗って行った車は津波に流されたのですが、幸い避難しており同僚に車で家の近くまで送ってもらって帰宅することができました。

震災当時、沿岸部の学校に通う子どもを迎えにいく途中で津波被害に遭われた方が多勢いらっしゃいました。そのため、現在は津波警報が発令されている間は、保護者は子どもを絶対に引き取りに来ないようにルールが徹底されています。



配信元: 女子SPA!

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