福島県・大熊町の中間貯蔵施設の小高い場所から見た東京電力福島第一原子力発電所
2026年1月、福島県の浜通り地区を1泊2日で訪ね、持続可能な社会・地域づくりについて考える「福島ホープツーリズムモニターツアー」に参加しました。「防災」というと「備える」ことに偏りがちですが、過去に起きたことから学び、教訓を生かすことも、大切だとあらためて感じた時間でした。
ツアーバスに乗り込むと、資料類の入ったブルーのバッグがお出迎えしてくれました
15年前から時を止めたままの中間貯蔵施設内
ホープツアーには、「フィールドパートナー」が同行し、見学先のアテンドに加え様々な問題提起をしてくれます。参加者自らが「考える」ということを大きな特徴にしている、ホープツアーならではの水先案内人です。
私たちの旅に伴走してくださったフィールドパートナーの小泉良空(みく)さんは大熊町出身の方。「状況は様々で、皆が同じ想いで同じ方向を向いている、というわけではありません」という言葉と、「でも、福島は幸せな場所です。たくさんの人が足を運んでくれて、一緒に考えることができるから」という言葉がとても印象に残っています。
大熊町をバスで移動中の車窓から。バリケードの向こう側は2045年まで立ち入ることのできない「帰還困難区域」。数百メートルごとに、住めるようになった場所とそうではない場所がパッチワークのように点在します
1日目にまず案内してもらったのは、津波で大切なご家族を亡くし、伝承活動を続ける木村紀夫さんとの対話の場です。木村さんは原発から3キロの場所にある自宅が津波でさらわれ、行方が分からなくなった父と妻、次女を捜索している時に避難指示が出され、探しだすことができなくなってしまったと言います。
「自分の体験をシェアするので、みんなで考えてほしい」と、たくさんのお話と問いを頂きました。受け入れ先の決まらない最終処分場のこと。解体が進み、思い出の場所が姿を消していく大熊町の現状。震災から5年後に遺骨の一部が発見された次女のこと。原発事故がなかったら、もっと多くのいのちが救われたのではないかという、ぶつけどころのない疑問や憤り。電力の問題、社会の在り方の問題。参加者一同、木村さんのお話に、頭と心をいっぱいにしながら、その後向かったのは大熊町にある中間貯蔵施設です。15年前から時を止めたままの敷地内の建物と、汚染土入りフレコンバッグが積み上げられた風景に、今なお課題は山積みのままで、決して震災が「過去のこと」ではないと思い知らされました。
見学した大熊町の中間貯蔵施設の敷地内に積まれた汚染土の入ったフレコンバッグ
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後世に伝えたい記憶、震災遺構として残る小学校
2日目にまず訪れたのは浪江町の請戸地区です。高さ15.5mの津波被害にあい、2014年には災害危険区域に指定され、いまは住むことはできません。かつて多くの住宅があったとされるエリアは、見渡す限りの更地になっていました。
請戸地区のシンボルとなっているのが、浪江町立請戸小学校。震災遺構として整備・保存され、防災について考えるきっかけとして、また、後世へ伝承していくための施設として、2021年10月から一般公開されています。
震災遺構の請戸小学校
校内に展示された、かつての請戸漁港周辺のまちの模型。「プロポーズを受けた」「毎年花火を見ていた」など、人々の記憶も展示されています
震災慰霊碑のある大平山霊園から浪江漁港方面を望む風景。この柵のすぐ下まで津波はやってきたと言います。「いのちを分けた柵」という言葉にハッとさせられました
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