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からっぽの部屋|辻山良雄

からっぽの部屋|辻山良雄

実家を出てひとり暮らしをはじめたとき、はたしてどのくらいの荷物を持って家を出たのか、いまとなっては思い出せない。気に入ったものを持って出るよりは、買い揃えるもののほうがはるかに多かったから、身の回りのものをダンボールに二~三箱詰めたくらいですんだのではないか。身軽であることは若者の特権だが、当時は驚くほど何も持っていなかった。

 

それから三十年以上が経ち、杉並区桃井のいま暮らしている家に至るまで、わたしは十数回の引っ越しを経験した。

最初は友人の所有するワンボックスカーで事足りた。友だち数人に来てもらい、手分けして車に荷物を積み込めば、あとはその車で都内を横断する。手間賃は近所の中華料理屋で晩飯を奢るだけ。わたしも同じように誰かの手伝いをしていたから、そのようなことはお互い様だった。

しかしそうした引っ越しが何回かあったあと、周りもみな働きはじめると、気軽には手伝いを頼めなくなった。ワンボックスカーはいつの間にか赤帽のトラックに変わり、結婚して人間の数が増えれば、車は業者の4tトラックに、そのあとはすぐに台数が2台に変わった。

猫たちが一緒に暮らすようになると、住む家も限られてくるから、一度住み着いた家からは離れにくくなる。いま住んでいる家は来年ではや10年となるが、転居続きであったわが人生も、ようやく根を生やすことのできる場所が見つかったのだろうか。

展示の搬出入や旅の行き帰りと同じで、引っ越しも、あれほど準備に時間がかかったにもかかわらず荷解きはあっという間で、記憶にもほとんど残っていない。準備に時間がかかるのは、荷物が傷まないように気をつけて梱包することもあるけど、いま住んでいる場所への未練が物事をゆっくりと運ばせるのではないか。

もう会うことのできない人がいる。送別会での会話も頭をよぎる。しかし感傷的な気分に浸りながらも、何とか徹夜で作業を終わらせた引っ越し当日、荷物をひと箱出すたびに、心がどんどん晴れていく自分がいる。

洗濯機を出す。テレビを出す。椅子もテーブルもやかんもコーヒーカップも、洋服が無造作に詰められた箱もすべて出してしまうと、この場所で起こったあらゆることがその時の感情も含めてチャラになるようで、せいせいとした。心の洗濯とはこのようなことを言うのではないか。

そして何もかもすべて出し尽くした部屋を見渡すと、がらんとして、こんなに広かったかなと思う。同じ光景を見たのはこの部屋に引っ越してきたとき以来だが、そのときよりも明らかに広く感じる。いつも思うことだが、これはいったいなぜなのだろう。

からっぽの部屋を見ていると、自分はここからやってきたのだと強く思う。それこそまだ大して荷物もなかった、ひとり暮らしをはじめたときのような。でもそこにはもう戻ることができなくて、わたしはたくさんの荷物を引きずりながら、また次の場所で生きていくのだろう。歳をとるって、少しつまらない。

今回のおすすめ本

『語るに足る、ささやかな人生』駒沢敏器 風鯨社

大都市は避け、スモールタウンだけをめぐる旅。それで見えてくる世界がある。自分を大きく見せず身の丈で生きる人たち。みな元々はこうだった。

配信元: 幻冬舎plus

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