出版の予定もないまま12万字を書き上げ、自ら出版社に企画を売り込んだ。『企業法務1年目の教科書』シリーズは法律書として異例のベストセラーとなり、既に第15刷を重ねる。50近くの事務所や企業に落とされた就活の挫折を原点に、「つまずいた人を見捨てられない」と語る幅野直人氏(BUSINESS LAWYERS AWARD 2025 情報発信部門賞、主催:弁護士ドットコム)の思いを聞いた。
●自ら売り込んだ「教科書」が大ヒット
書きたいという衝動を抑えられず、出版予定もないのに12万字書いた。出版社の問い合わせフォームから企画書を送った。『企業法務1年目の教科書』シリーズは、幅野直人氏の「企業法務初心者には指南書が必要だ」という熱い思いから出来上がり、法律書としては空前の大ヒットを飛ばしている。
「出版は過去の自分を救うことでもありました」。企業法務をやりたいとの夢を実現すべく、弁護士5年目で隼あすか法律事務所に移籍。すぐにメーカーの法務部門に出向した。新人扱いはされない中で、業務の「基礎の基礎」について解説された本がなく苦労した。
その後、似た境遇にある後輩も同じように苦労しているのを見て、まずは契約書レビューの基本の「型」について整理して書き始めた。友人や知人のつてを頼らず、自分の信頼できる出版社に売り込もうと中央経済社に企画書を送ると、トントン拍子で出版が決まった。『契約書作成・レビューの実務』は2024年2月の発売当初からAmazon等の法律書売上ランキングで上位となり、すでに第15刷となっている。
2025年3月には2冊目となる『法律相談・ジェネコ対応の手引』を出版。いずれも、料理にたとえれば、基本のレシピのようなものだといい、「できる人にとっては当たり前のことしか書いていない。でも、そこに需要があったんですよね」と語る。法務担当者の「ルールブック」として、企業内の研修にも使われている。
●つまずいた人を見捨てられない
司法試験に合格したのは2012年。大手事務所で企業法務を扱うことを夢見ていた幅野氏の前に就職難の壁が立ちはだかる。ロースクール時代の同級生たちの進路が早々に決まっていく中、50近くの法律事務所や企業から落とされた。
「その時は挫折感もありました。でも、今はこうして企業法務に携われています。後輩たちには、就活が思うようにいかなくてもその後の行動次第で何とかなる、と伝えたいです」
ベリーベスト法律事務所に入所し、交通事故などの一般民事案件を扱う弁護士人生が始まった。入所時の所属弁護士は50名ほどだったが、事務所は瞬く間に成長した。3年目には、東日本エリアマネージャーに就任。「事務所が急成長する中、マネージャーとして、『組織を育てる』ことも経験させてもらいました」
在籍した4年半の中で、印象的な出来事があった。ある後輩は人と話すのが苦手で、自分で案件を受任することがほとんどできなかった。そこで、法律相談における対応の流れやポイントを書面にまとめた。後輩は、その書面に書かれた内容を忠実に守り、自分で受任できるようになった。
物事には「型」がある。見よう見まねでできる人もいるが、そうでない人もいる。それは企業法務も同じ。「やり方がわからなくて、うまくできないまま切り捨てられる。それって悲しいじゃないですか」。
つまずいた人を目の当たりにすると、どうやったらできるようになるか考えてしまうのだという。「昔からそういう気質なんですよね」と幅野氏は笑うが、その気質こそが企業法務におけるベストセラーを生んだ。母校の中央大学で兼任講師として教壇に立ち、後進の育成にも力を入れている。

