④朝日山(1)遺跡「ヒスイ製玉類」 出典:JOMON ARCHIVES(青森県埋蔵文化財調査センター所蔵、田中義道撮影)
今回はその中でも多くの縄文人が身に付けた、ネックレス(玉)と耳飾りについてお話しします。
始まりは貝のビーズだった
まずはアクセサリーの起源を見てみましょう。
世界で初めてのアクセサリーは、今から遡ること約12万年前のヨーロッパで見つかった、巻貝や二枚貝に孔(あな)を開けたビーズです。
その後、約10〜7万年前になると、アフリカで1cm足らずの小さな貝のビーズが数多く作られました。
日本では約2万年前の旧石器時代の末に、北海道のピリカ遺跡から、「かんらん岩」という石でできたビーズの首飾りが見つかっています。くすんだ緑色の小指の先ほどの石に孔が開けられ、そこに紐を通したと考えられるものです。
同じ時期の沖縄のサキタリ洞遺跡からは、二枚貝やツノガイのビーズが見つかっており、それらを複数組み合わせて首飾りにしていたと想像されています。
このように世界各地で文化が栄える以前、人々は洞窟や岩陰などを点々として獣を追いかける暮らしの中で、必需品とはいえないアクセサリーを作っていました。
人が自ら「装う」ための道具を求めることは、もはや本能に近いということなのかもしれません。
「装身具」が意味することとは
縄文時代になると、石や貝、動物の牙や骨、粘土などを材料に、さまざまなアクセサリーが作られました。
上尾駮(1)遺跡「玉類」 出典:JOMONARCHIVES(青森県埋蔵文化財調査センター所蔵、田中義道撮影)筆者にて一部改変
それらは、「人間の身体に直接つけるもの」という意味で「装身具」と呼ばれます。
現在のアクセサリーは主にファッションとして捉えられますが、「装身具」はそれ以外にも何らかの意味や役割を持つと考えられています。
例えば、
・呪術的な意味を持ち、悪い霊から身を守るための護符(アミュレット)としての役割。
・自分の権力や身分の高さ(ステータス)を周囲に示す、威信財(いしんざい)としての役割。
・「私はこの集団の一員だ」というアイデンティティを証明し、帰属意識を高める役割。
このように「装身具」は単なる飾りではなく、明確な社会的な機能を持った「道具」でもありました。
同時に、それらの多くは「葬送儀礼」とも深く結びついています。事実、「装身具」の多くは墓から見つかります。人骨にネックレスや耳飾りが装着されていたり、副葬品(ふくそうひん)として供えられている例も多く、当時の死生観や埋葬のルールを現代に伝える貴重な資料となっています。
ところで、縄文人は実際にこれらをどのように身につけていたのでしょうか。そのヒントは、当時の姿を写し取ったとされる「土偶」に見ることができます。
真福寺貝塚「みみずく土偶」 出典:Wikimedia Commons
この「みみずく土偶」を観察すると、耳の丸は耳飾りを、大きな頭は結った髪や櫛を、首にはネックレスを表現しているように見えます。遺跡から見つかった実際の装身具と重なる部分も多く、縄文人の装いを想像する手がかりとなっています。
