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ちょっと怖い?ドガ《エトワール(星)》に見る、花形バレリーナの輝きと現実

スターの名を与えられたモデルが、絵の切実さをいっそう深くする

この作品のモデルについては、スペイン出身のダンサー、ロジータ・マウリとする見方が広く知られています。彼女は当時の人気ダンサーであり、まさに“星”の名にふさわしい存在でした。そう考えると、この絵は名もなき踊り子の一瞬ではなく、実際に舞台の中心で輝いていたスターの姿をとどめたものでもあります。

ロジータ・マウリのポートレート, Public domain, via Wikimedia Commons.

けれどドガは、そのスターを栄光の象徴としてだけ描いたのではありませんでした。スターであることは、選ばれた存在であることです。しかし同時に、より強く見られ、より強く舞台の論理に巻き込まれることでもある。ロジータ・マウリという固有名が重なることで、この絵の華やかさは、かえっていっそう切実なものに見えてきます。

これは祝祭の絵だ。けれど、祝祭の無垢さを信じた絵ではない

では結局、《エトワール》は祝祭の場面なのか。答えは、やはり「そうであり、そうでない」でしょう。ここにはたしかに祝祭があります。主役の踊り子、舞台の光、色彩のきらめき、観客を魅了する一瞬。けれどドガは、その祝祭を無垢なものとして描きませんでした。

舞台袖の男の存在が、拍手喝采の背後にある階級や欲望や力関係を、影のように浮かび上がらせます。つまり《エトワール》は、祝祭そのものの絵というより、祝祭がどんな現実の上に成り立っていたのかを忘れさせない絵なのです。

まぶしさの隣に影を置いたところに、この絵の凄みがある

この作品の凄みは、光と影を同じ画面のなかに閉じ込めたところにあります。もしドガが踊り子だけを大きく描き、周囲を整え、舞台を美しく整理していたなら、この絵はもっとわかりやすい花形賛歌になっていたでしょう。

けれど彼はそうしませんでした。あえて不安定な視点を選び、あえて男を残し、あえて祝祭のすみに影を置いた。
そのためこの絵は、見るたびに別の顔を見せます。最初は華やかなバレエの絵に見える。次には舞台裏を映し出す絵に見える。

そして最後には、輝くことの残酷さまで映した絵として立ち上がってくる。祝祭の光がまぶしいほど、そのすぐそばの影もまた濃く見えてしまう。そこにこそ、《エトワール》が今なお人を惹きつけてやまない理由があります。

配信元: イロハニアート

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