“野手クビ”からドラフト1位へ…斎藤隆が語る人生の転機 権藤博との出会いと横浜日本一の舞台裏も<プロ野球 レジェン堂>

“野手クビ”からドラフト1位へ…斎藤隆が語る人生の転機 権藤博との出会いと横浜日本一の舞台裏も<プロ野球 レジェン堂>

「プロ野球レジェン堂」
「プロ野球レジェン堂」 / (C)BSフジ

3月17日に放送された「プロ野球 レジェン堂」(毎週火曜夜10:00-10:55、BSフジ)。今回のゲストは横浜ベイスターズの1998年リーグ優勝と日本一に貢献し、36歳でメジャーに挑戦して日米通算100勝100セーブという偉業を成し遂げたレジェンド・斎藤隆だ。MCの徳光和夫、遠藤玲子とともに、少年時代からプロ入りの転機、さらに横浜日本一の舞台裏やメジャー挑戦の裏側まで数々の秘話を語った。

■野球一家で育った少年時代 家には野球道具とトレーニング器具

斎藤は宮城県仙台市出身で、3兄弟の末っ子として育った。2人の兄が少年野球チームに所属していた影響もあり、子ども部屋にはバットやグローブなどの野球道具が溢れていたという。さらに兄がトレーニングを望むと父親がベンチプレス用のバーベルを買ってくれるなど、幼少期から野球に囲まれた環境で育ったと振り返る。

もともと父親は野球に詳しくなかったものの、自営業で時間があるという理由から少年野球の監督を引き受けることに。すると150チームほどが参加する地元の大会でチームを優勝に導くなど、思いがけない形で野球との関わりが深まっていった。

仙台は野球が盛んな土地ではあったが、当時の斎藤はプロ野球を目指すという意識はほとんどなかったそう。それでも兄から厳しい指導を受けながら腕を磨き、3兄弟で合計7回もの甲子園出場を果たす。“野球一家”と呼ぶに相応しい、恵まれた家庭環境だったようだ。

■野手から投手へ…監督の一言が生んだシンデレラストーリー

東北高校ではレギュラーとして甲子園出場も経験した斎藤だが、ドラフト指名がかかることはなかった。将来のことは何も考えておらず、父親の仕事の伝手もあって東北福祉大学への進学が決定。しかし当時を振り返れば金本知憲、浜名千広、作山和英といった同級生、さらに先輩には佐々木主浩や矢野燿大など、後にプロへ進む選手が多数在籍していた。

斎藤は当時のチームについて「僕が入学したときの4年生から1年生まで、後にプロになる人が10人以上いたんですよね」と振り返る。徳光が「その人たちは高校時代から“ゴールデンボーイ”だったんですかね?」と尋ねると、斎藤は「東京六大学リーグとか東都リーグに行こうとした…でも何かで行けなかった選手を(東北福祉大の)伊藤監督が誘った」と当時の状況を明かす。

もともと野手としてプレーしていた斎藤の運命が大きく動いたのは、大学2年の秋。ブルペンで遊び半分に投球していた姿が監督の目に留まったことがきっかけだった。伊藤監督はコーチに「代打で打てなかったら野手をクビにしてピッチャーにする」と宣言。徳光は「それもまた不思議な発言ですね」と首をひねるのだが、斎藤は「野手としてはギリギリ、ベンチに入れていた。監督は2年後をイメージしていたのではないか」と推察した。

そしてその日の試合で斎藤は併殺打に倒れ、翌日から野手の練習をさせてもらえなくなったという。斎藤は「ダメなら大学も辞めちゃえ」と覚悟を決めてブルペンで投げ続けた。結果的にこの決断が大きな転機となり、2年後には大洋からドラフト1位指名。野手として崖っぷちだった選手が投手として花開くという、まさにシンデレラストーリーが生まれた瞬間だった。

■権藤博の言葉が変えた投球人生 横浜日本一とメジャー挑戦

プロ入り後、斎藤の野球人生を大きく変えた人物として名前が挙がったのが名将・権藤博だ。それまで斎藤は、“際どいコーナーを突くのがプロのピッチングだ”と考えていたという。しかし権藤が斎藤に送ったアドバイスは「ゾーンに投げろ。とにかくストライクを投げろ。バッターが打つかなんて誰にもわからないんだから」というものだった。

そこから思い切り腕を振って“ストライクを取りにいく”スタイルに変えたことで、結果もついてくるように。斎藤はその指導を「まさに“権藤マジックでした”」と振り返る。

1998年、斎藤は日本シリーズで初登板初完封を達成し優秀選手賞を受賞。横浜が38年ぶりの日本一を決めた試合では大魔神・佐々木と谷繁が抱き合うシーンが有名だが、その日の先発が斎藤だった事実は意外と知られていない。当初は別の投手が予定されていたが、試合当日の朝に権藤監督が部屋を訪れて「今日はおまえで行くぞ。シーズン後半はおまえが支えてきたから」と告げたことで急きょ先発が決まったという。

その後、斎藤は36歳でメジャーリーグへ挑戦。ドジャースやレッドソックス、ブレーブスで活躍するが、2012年はケガの影響で思うような結果が出なかったという。当時の心境について斎藤は「正直に言うと辞めたかった」と本音を吐露。それでも最後まで声をかけ続けてくれた東北楽天ゴールデンイーグルスの存在が復帰の決め手になったと振り返る。

斎藤隆の歩みは、必ずしも順風満帆なものではなかった。しかし、一つひとつの転機が後に日米通算100勝100セーブという偉業へとつながっていく。野球人生の節目を振り返る斎藤の言葉には、トップアスリートとして長く戦い続けてきた重みがにじんでいた。

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