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THE W後のどん底を救ってくれたもの「これがなければ芸人を辞めていた」【連載:しょぼくれおかたづけ 最終夜】

THE W後のどん底を救ってくれたもの「これがなければ芸人を辞めていた」【連載:しょぼくれおかたづけ 最終夜】

「エッセイ連載、ありがとうございました!」
「エッセイ連載、ありがとうございました!」 / 提供=にぼしいわし・いわし

にぼしいわし・伽説(ときどき)いわしによる、日々の「しょぼくれ」をしたためながら、気持ちの「おかたづけ」をするエッセイ「しょぼくれおかたづけ」。今回で最終回となりました。

華々しいスタートを切ったように思えたあの日から、想像以上にうまくいかない日々が続いて苦しかった中、いわしが選んだ「書く」ということ。
当時は気がつかなかったけれど、今思えばそれは、自分自身を変えていく術になっていようで……? 

私は「書く」ことができた、だから芸人を続けられます。
応援いただいた皆さま、ありがとうございました!

■最終夜「みんな、ありがとう」

 お笑いで生活ができる才能はなかった。人を笑かすことはできなかった。お笑いふうのことはできても、それで人様にお金をいただけることはなかった。
 ライブでも私を見にきてくれる人はいなかった。カリスマ性も、意外性も、見当たらなかった。終演後、おもしろい!と笑顔で駆け寄ってくれる人はいなかった。

 才能がないのに、ここまで続けてしまって、もう33歳だ。ここから一般の社会で生きていけるほど、社会は甘くない。お笑いをやめてしまったら、多分私は親の脛をかじりながら、働く気力もなく廃人と化すのだろう。

 そんなことを、ちょうど1年前に思っていた。

 THE Wで優勝したタイミングだった。あの時期から私は、お笑いをしてはいけない人間なのだと思い知ったのだ。バラエティでうまくいかない。ネタ番組に出られるわけでもない。周りの芸人はどんどんと結果を出していって、彼らの背中ばかり見る生活だった。自動的に売れると思っていたのに、そんなことは一切なくて、自分の実力不足が毎日露呈されるだけの日々。

 あの時は仲間も、励ましてくれる人もいなかった。声をかけてくれる人がいたとしても、私が突っぱねていた。どうせ、私がこの世で生きていけなくなったってこの人には何の関係もない。私の責任を取るのは最終的には私である。世間のすべてが敵だった。周りを見渡すと、敵、敵、敵。みんな自分の生活でいっぱいいっぱいだ。人のことなんて構っている場合ではない。

 小さい子を街で見かけると、このころからやり直したいと思った。私はどこから間違ったのだろうか。
 小学生で初めて一輪車に乗れた自分を思い出す。あのころ、私は私のことが好きだった。たくさん練習して、やりたいことができていく私が大好きだった。

 でも、この世界に入って、たくさんの努力をしたつもりだったのに、それすらも全然足りてないと思い知らされて。運も必要な世界で、かつ才能もなくて、すべてが「詰んでいる」ことがわかった。一輪車に初めて乗れたとき、私の人生がまさか、「詰む」ことがあるとは思わなかったのに。幼いころの屈託なのない笑顔で写真に映る私を見ると、かわいそうな気持ちと、腹がたつ気持ちとが両立した。


 毎日泣いたし、毎日苦しんだ。暗いと言われても明るくしようがなかった。一筋の光もまったく見えなくて、どこを歩いても、どこを走っても、何もわからなかった。


■今思う、「書き仕事」が救ってくれた絶望

【写真】「時には時間ギリギリまで書き続けていた『しょぼくれ』たち」
【写真】「時には時間ギリギリまで書き続けていた『しょぼくれ』たち」 / 提供=にぼしいわし・いわし


 そんな時期に始まったのがこの連載「しょぼくれおかたづけ」だった。

 何も成し遂げていない人間のエッセイが、誰の何になるのだろうか。売れてもない奴のエッセイを、誰が読むのだろうか。エッセイよりも他にやるべきことがあるのではないか、そう、誰かに言われるのではないか。
 自分でもそう思ったし、何よりそう、芸人仲間やお笑いファン、お笑いに携わっている人に思われるのが怖かった。かっこつけた文体で書いて、もっと人から傷つけられて、本当にいよいよ立ち直れなくなってしまったらどうしようかとも思った。

 でも、あの時の私は書くことを選んだ。

 いや、そんなかっこよくは言いたくない。あの時の私は、書くしかなかったのだ。私がお笑いを続けるには、書くしかなかった。いろんな芸人に、本音を吐露しすぎだと言われた。そう言われるたびに、私はなんて弱い人間なのだと思った。芸人なんてできるような強い人間じゃないことを思い知った。

 あの時の私には、クスッと笑える文章や、唸るような表現のエッセイは到底書けなかった。等身大と言えばよく聞こえるが、ほとんど普通は芸人が隠している心の膿を書いていた。このせいで、ウケなくなったらどうしよう、相方に迷惑かけてしまったらどうしよう、本当に売れなくなってしまったらどうしよう。そんな不安は常に私の周りにまとわりついた。

 たまに、私のエッセイで元気をもらったと言ってくれる人がいた。それは本当にとてもうれしくて、私がお笑いの世界で頑張れるための大切な栄養素だった。
 一方で私は、周りの人のためを思い何かを書けるほどの余裕はなかった。自分のために、自分の心情をていねいに汲み取って、ただ前を向くために書き続けた。ただそれだけだったのだけれど。

 めちゃくちゃ都合よく考える。昨年、あのタイミングでエッセイを書かせてもらえる機会をいただけたのは、「まだお笑いを続けていい」というサインだったのかもしれないと。多分、私は、エッセイを書いていなかったら、お笑いを辞めていた。休業ということは性格上できないから、きっときれいさっぱり辞めていたと思う。

 まあ、そんな人生もアリだったか、とは思うけれども。

 でも今、こうしてお笑いを続けている。続けられている。そして、お笑いが楽しいと思えている。あのときにはたくさん見えていた敵が、見えなくなった。新しいことをどんどんして、失敗もすることも含めて、全部楽しめるようになった。

 今の私なら多分、この先もお笑いを続けられる。

 書くことができるかぎり、どんな困難があっても、私はこうやって自分の気持ちと向き合って、ていねいにことばにして、前を向ける。今年1年、そう気づけたのだから、これからもずっとそうだと信じたい。

 「しょぼくれおかたづけ」というタイトルを決めたときは、正直どうせ私はかたづけられないのだろうと思っていた。でも、こうしてみごとにちゃんとかたづけられた。これからどれだけしょぼくれても私はかたづける術をもっている。それは、帰ってきたら母親が大好物の料理を作って待ってくれているような安心感で、ネタがとってもウケたときの無敵感。
私はこれからも、私のことをかたづける。そして、みんなのことをかたづけられたらいいな。

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