■青春ドラマの金字塔、50年目で自身が監督し映画化
「中村! お前、ちゃんとやれよ!」
中村雅俊は、編集所で自分の演技を見て自らダメ出しをした。放送から50周年を記念し、青春ドラマの金字塔「俺たちの旅」(1975~1976年日本テレビ系)が、「五十年目の俺たちの旅」と題して1月、劇場公開された。映画の監督を中村自身が務めた。その「反省点」として「自分の芝居はちゃんと見るべきだった」と自虐で軽やかに笑わせたのだ(「おかべろ」2025年10月11日ほかフジテレビ系)。
「終幕のロンド ―もう二度と、会えないあなたに―」(2025年フジテレビ系)では、息子を自殺で亡くしたというシリアスな役を演じているが、その役柄が持つ悲愴感が重くなりすぎないのは、こうした軽やかな「陽」の部分が根底にあるからだろう。また、暗い過去を持ちながら、部下を優しい眼差しで見守る姿は「理想の社長」像だ。
■運命を大きく変えた英語劇
中村が本格的にデビューしたのは、1974年。もともと俳優になるつもりはなかった。夢は「ソ連の外交官」。五木寛之の小説「さらばモスクワ愚連隊」や「青年は荒野をめざす」の影響だった(「週刊ポスト」2025年11月7・14日号)。外交官試験を受けるため、ESS(英会話クラブ)に入り英語劇を選んだことが中村の運命を大きく変えた。
演出した奈良橋陽子に「You have Something」と褒められ、その気になった。大学4年生のときに文学座の研究所に入ると、日本テレビのプロデューサー・岡田晋吉の目に留まる。岡田は、1965~1966年に制作した石原慎太郎原作・原案の「青春とはなんだ」がヒットすると、「これが青春だ」(1966~1967年)、「進め!青春」(1968年)といった青春学園ドラマシリーズを手がけていた。その新作「われら青春!」(1974年、全て日本テレビ系)の主人公に中村を大抜擢(ばってき)したのだ。
放送が始まったのが大学を卒業したばかりの4月。だから彼は「就職」したかのようにテレビの世界に飛び込んだ。しかも、このシリーズの主役が主題歌や挿入歌を歌うという通例に従ってリリースした「ふれあい」がオリコンチャート10週連続1位という大ヒットを記録し、いきなり国民的スターとなった。
■「理想の若者」像として愛された、“カーッとなるカースケ”
2年目には、刑事バディものの先駆けともいえる「俺たちの勲章」(1975年日本テレビ系)で、文学座の先輩・松田優作と組んだ。この頃まではまだバイト感覚。自身も「一発屋」のように「右肩下がり」になっていくのだろうと覚悟していたという。転機になったのが次に主演した「俺たちの旅」。このドラマで「俺はこの世界でやっていくんだ」と決心がついたという(「リアルサウンド」1916年9月14日)。
彼が演じた、短気で瞬間湯沸器のようにすぐカーッとなるカースケは、「理想の若者」像として愛されていった。「十年目の再会」(1985年)、「二十年目の選択」(1995年)、「三十年目の運命」(2003年、全て日本テレビ系)と続編も作られ、前述のように五十年目で映画化。まさにライフワークといえる作品だ。
デビューからスターになるのも早かった中村だが、結婚するのも早かった。「俺たちの勲章」にゲストで来たことがきっかけで出会った五十嵐淳子と26歳で結婚。当時、若手スターが結婚するのはご法度。人気や仕事を失うことになると大反対された。実際、それが発表されると、スポーツ紙には「裏切り者 雅俊」という見出しが躍り、ファンクラブ会員が8割以上減ったという。
「まだそのスポーツ新聞持ってますよ」(「おかべろ」前出)と笑う。だが、仕事は減ることはなく、歳を重ねることで、「理想の夫」「理想の父親」「理想の上司」などと年代ごとに「理想像」を重ねられる存在であり続けたのだ。
■「求められた」ことが「今自分がここにいる理由」
並行して中村はほぼ毎年コンサートを開き、1600回以上ステージに立っている。“本職”のミュージシャンでもそこまでコンスタントに出続けている例はほぼない。それは自分の意志だけでできるものではない。求められないと開催すらできないからだ。その「求められた」ということが自分のキーワードだと言う。それが「今自分がここにいる理由」だと。
意外にも音楽でも演技でも大きな賞を獲ったことがないという。「でもファンの方達にずっと求められてきたということが、俺にとっての勲章」(「Yahoo!ニュースエキスパート」2024年1月22日)。
年齢を重ねるとやはり残された時間を考えてしまうという。「そこで出る結論はいつも、『やっぱり今だろう』ということ」(「CINRA」2017年9月8日)。そうして「今」を精力的に生きる中村は「理想のシニア」像を体現している。
文=てれびのスキマ
1978年生まれ。テレビっ子。ライター。雑誌やWEBでテレビに関する連載多数。著書に「1989年のテレビっ子」、「タモリ学」など。近著に「王者の挑戦 『少年ジャンプ+』の10年戦記」
※『月刊ザテレビジョン』2025年2月号

