【闘病】「私の人生、終わったかも…」 30代で降りかかった『炎症性乳がん』

【闘病】「私の人生、終わったかも…」 30代で降りかかった『炎症性乳がん』

炎症性乳がんは乳がんの中でも非常に稀なタイプの乳がんで、乳腺炎とも間違われやすいとされています。話を聞いたnoAさん(仮称)は、自覚症状もあったことで、早期の発見につながりました。noAさんには、炎症性乳がんはどのような症状が現れるのか、治療やその後の生活にどのような苦労があったのかなどを聞かせてもらいました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2025年4月取材。

noAさん

体験者プロフィール:
noA(仮称)

30代女性。2024年2月末にセルフチェックで左胸にしこりを見つけ、2024年4月にトリプルネガティブの乳がんと告知された。しこりの発覚時点では「炎症性乳がん」とは診断されていなかったが、痛みと赤みなどの症状が出始めていた。その後、炎症が広がり、連日38度以上の高熱が続いたうえ、抗生物質も効かず、抗がん剤投与後に初めて熱が下がったことで、「炎症性乳がん」という診断がついた。

私のようなAYA世代には炎症性乳がんを広く知ってほしい

私のようなAYA世代には炎症性乳がんを広く知ってほしい

編集部

最初に、noAさんが自身の闘病体験を通して一番伝えたいことは何でしょうか?

noAさん

2つあります。1つ目は、「炎症性乳がん」という病気を広く知ってほしいということです。胸にしこりがなくても熱感や痛み、皮膚の凹凸などの異変があるようなら、この病気を疑って早期受診してほしいです。次に、私のようなAYA世代の人には、「どんな状況でも自分らしく生きることを諦めずに好きなことを楽しんでほしい」と伝えられればと思います。ライフステージが変化する同世代の人にとって、それがどんなに大切で難しいことなのか、病気を通して痛感したからです。

編集部

ありがとうございます。それでは、noAさんの病気が判明するまでの詳しい経緯を教えてください。

noAさん

まずは2024年2月頃から左胸に痛みがありました。しばらく様子を見ていたら、2月末、セルフチェックで左胸に1cmくらいのしこりを見つけ、すぐに病院を受診したところ、「顔つきが悪い」とのことで検査をしました。その結果、「悪性の疑い」ということで大きな病院を紹介してもらい、今の主治医に出会いました。

編集部

その段階では炎症性乳がんかどうかまでは明らかではなかったのですね。

noAさん

この時点ではしこりの大きさから、「もし本当に悪性でも早期だから大丈夫」と言われていました。しかし、針生検の結果は、トリプルネガティブの乳がん(リンパ節へ転移あり)でした。告知された時点でしこりが4cmまで肥大し、2つに分かれて並んでいたので触った感覚では10cmくらいありました。普通、乳がんは比較的進行が遅いらしいのですが、私の場合はものすごく進行が速かったそうです。「もう少し発見が遅れていたら……」と思うと、本当に怖いです。

編集部

急速に肥大した以外にも症状はあったのでしょうか?

noAさん

針生検の後、あまりにも痛みが強く、毎日痛み止めを飲んで過ごしていたのですが、だんだんと左胸が赤く腫れ上がるようになりました。さらに、4月になると毎日38度を超える高熱が出てしまって、薬を飲んでも数時間しか効かず、抗がん剤治療が始まる前日には40度近くまで上がってしまいました。

編集部

それはつらかったですね。

noAさん

炎症性乳がんは検査でわかるわけではないそうです。症状が出始めてからしばらくは感染症の可能性もあったため、抗生物質を服用していましたが、全く効果が見られず、私自身も「おかしい」と感じていました。そして、抗がん剤の点滴を受けた日に初めて熱が下がったことで、これら全ての症状はがんのせいだったことが判明し、「炎症性乳がん」の診断にいたりました。

編集部

病名が判明したときの心境についても教えていただけますか?

noAさん

最初にがんと聞いた瞬間は時が止まったような気分でした。ですが、最終的に「炎症性乳がん」と告知されたときは、もうある程度覚悟ができていたので、そこまでショックは大きくありませんでした。最初に「悪性の疑い」という文字を見たときは「私の人生、終わったかもしれない」と思いました。

編集部

それは死がよぎったということですか?

noAさん

私は自営業で英語教室をしていますので、「もし元気になっても長くお休みしたらお客さんが離れてしまうかもしれない」「子どもが大好きなのにもう自分の子どもは持てないかもしれない」といったように、死ぬかもしれない恐怖よりも、自分の「居場所」を失うことへの不安が大きかったように思います。

編集部

治療についてですが、医師からはどのような方針と説明を受けたのでしょうか?

noAさん

医師からは術前の抗がん剤+キイトルーダ(がん免疫薬)を半年おこない、その後手術をしてから、再び半年間キイトルーダを投与すると説明がありました。さらに、リンパ節転移があるため、放射線治療が必要になるかもしれないとも説明されました。

編集部

治療が始まってから、noAさんの心の支えになっていたものはありますか?

noAさん

大きかったのは「趣味」と「周りからの応援」です。私にとって、英語は仕事であり趣味でもあるので、具合が悪くても英語の読書や映画鑑賞はほとんど日課でした。抗がん剤の副作用は、時間が経てばなくなっていくものなので、最初は1日1日が早く過ぎ去っていくことを願っていました。そんな中では、趣味があることは本当に大事だなと思います。また、家族にはたくさん支えてもらいましたし、教室の生徒さんからも応援をもらい、とても励まされました。人によっては病気をカミングアウトしない人、できない人もいますが、私は早い段階で病気を公表してよかったと思います。

まずは自分が元気であること、その先に楽しい未来が待っている

まずは自分が元気であること、その先に楽しい未来が待っている

編集部

炎症性乳がんの発症後、noAさんの生活にはどのような変化がありましたか?

noAさん

一般的に乳がんは自覚症状がない人も多く、「抗がん剤治療が始まってからが大変」というイメージを持っていました。しかし、私の場合は先述の通り、治療が始まるまでが一番大変でした。 治療が始まる直前まで仕事をしていましたが、熱があってとにかく体がだるく、痛みが強いため、仕事以外の時間はほとんど横になっていたと思います。あのときは自分でも弱っていくのがわかって、それが怖かったです。ありがたいことに私は抗がん剤がとてもよく効いたので、まずその熱と痛みがなくなったことでだいぶ動きやすくなりました。副作用も私の場合は1週目が一番ひどかったです。脱毛はもちろん、肌がボロボロになったり、爪が剥がれてきたりして、見た目の変化は精神的につらかったですが、最初の身体的なつらさを思うと我慢できました。

編集部

治療期間中のお仕事はお休みされたのですか?

noAさん

治療を始めてから、2カ月は完全に仕事をストップして治療に専念しましたが、その後は様子を見ながらリモートワークに切り替えたり、家族の助けを借りたりしながら仕事を再開しました。今はもうほとんど発症前と同じように働くことができています。ただし、「まず自分が元気じゃないと、周りを元気にすることができない」ということを痛感したので、休みを多く取り、趣味の時間も増やして、働き方は大きく変えています。

編集部

現在の体調や生活の様子を教えてください。

noAさん

現在はカペシタビン(経口の抗がん剤)の副作用で、たまに腹痛や吐き気などもあり、無理はできませんが、比較的元気に過ごすことができています。また、5月までは術後キイトルーダが続く予定です。そして、抗がん剤の副作用で寝込んでいたとき、「元気になったらやりたいこと」リストを作っていたので、それを少しずつ叶えています。行きたい場所に行く、美味しいものを食べるなど、「いつか」しようと思っていたことは、もう叶わないかもしれないと学んだので、できるだけ今できることは今やろうと思っています。新しいファッションや髪型(ウィッグ)に挑戦できるのも今だけだと思うので、むしろ楽しむことにしました。治療中はつらいですが、こうして明るい未来を想像できると頑張れます。

配信元: Medical DOC

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