無重力の宇宙で、ラーメンは食べられるのか。お風呂やトイレはどうするのか。狭い空間で、どうやって心と人間関係を保つのか――。夢とロマンに満ちた宇宙での暮らしには、地上とはまったく異なる現実があります。
そんな〝宇宙生活のリアル〟を教えてくれるのが、3度の宇宙飛行を経験し、ギネス記録も持つ宇宙飛行士・野口聡一さんの著書『宇宙でラーメンは食べられるか 宇宙暮らしのロマンと現実』です。宇宙で実際に暮らしてみて初めてわかる驚きや工夫、そして人間らしい悩みや楽しみについて、本書から一部をご紹介します。
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ついに宇宙へ! 記念すべき初ミッションは「避難経路の確認」
ISSと地球はおよそ400km離れています。ちょうど東京と大阪くらいの距離です。打ち上げからISS到着までにかかる時間は宇宙船やミッションによって変わるのですが、我々の場合は約24時間で無事に到着しました。
宇宙船生活2日目の朝、宇宙飛行士は一張羅に着替えます。胸元にミッションロゴが入ったそろいのポロシャツです。着替えが終わったら、ISSへのドッキングに向けて地上の管制官たちと連絡をとりながら作業を進めます。
無事ドッキングできたら、いよいよISSへ。心が高鳴る瞬間です。宇宙船とISSを隔てるハッチを開けると、ISS滞在中のメンバーが歓声と拍手で出迎えてくれ、抱擁やハイタッチを交わします。その後は、地上に向けて会見が行われ、ISSに無事に到着したことを全世界に向けて報告します。一張羅のそろいのポロシャツを着るのはこのためです。
ハッチを開けるところから会見までは中継されるため、見たことがある人もいるのではないでしょうか。けれど、そのあと宇宙飛行士が何をしているのかを知っている人は少ないかもしれません。
じつは、会見後には重要なオフィシャルワークが行われます。最初の避難訓練、つまり防災用品と避難経路の確認です。
ISSは科学の粋を集めた施設ではあるものの、緊急事態が起こるリスクは当然あります。有事の際には原則として、地上から乗ってきた宇宙船が避難所となります。クルードラゴン宇宙船でISSにきた人はクルードラゴン宇宙船へ、ソユーズ宇宙船でISSにきた人はソユーズ宇宙船へ避難するという具合です。
トラブルが起こった際、乗ってきた宇宙船の近くにいればスムーズに避難できるでしょう。でも、乗ってきた宇宙船から離れた場所にいる可能性もあります。そんなときのために、避難経路を実際に見てまわり、ISSと各宇宙船の位置関係を頭に叩き込んでおくのです。あわせて、酸素マスクや消火器などの設置場所もチェックします。
もちろん、ISSでのさまざまなトラブルを想定した避難訓練は地上でもくり返しやってきていますし、避難経路や防災用品の場所も頭に入っています。それでも、避難経路および設備の確認を到着直後に行うのは、日頃の備えがなければ、いざというときに自分の命とほかのメンバーの命を守れないことを知っているからです。
飛行機やホテル、旅館では避難経路についての案内が必ずあります。いつかみなさんが宇宙で暮らす際、宇宙船や宇宙ホテルで同じように避難経路の説明があったら、ぜひともしっかり聞いてほしいと思います。

個室は唯一のプライベート空間 壁をいかに活用できるかが快適度を左右する
宇宙で最初のオフィシャルワークである避難経路の確認を終えたら、個室に案内されます。ISSの個室は「クルークォーター」と呼ばれ、電話ボックスぐらいの広さしかありません。ただ、幸いなことにここは無重力環境です。天井も床も有効活用できます。短期滞在なら数日から数週間、長期滞在なら数か月以上におよぶ生活をより快適にすべく、宇宙飛行士はしばし「巣作り」に集中します。クルークォーターは、三方の壁とドア、天井、床に囲まれています。ドアを入って左側の壁が就寝スペースで、ここに寝袋を固定します。正面の壁はワークスペースです。パソコンやパソコン台、ライト、筆記具などを面ファスナーで固定します。家族や友人との写真を貼る人も少なくありません。
パソコンまわりはケーブルが多く、そのままにしておくと自由に浮遊してしまうので、なにかとじゃまです。壁に沿わせて固定したり、パソコンなどの背後に収納したりと、工夫を凝らします。ケーブルをうまくまとめられるかどうかが、クルークォーターの快適度を左右するといっても過言ではありません。もちろん、ケーブルを含めてどう自分のクルークォーターを整理していくかは個人個人で違いがあります。仕事のデスクや寝室などの整理整頓加減が人によって異なるように、宇宙での整理整頓の術も人それぞれなのです。
余談ですが、100円均一ショップでコードやケーブルをまとめるアイテムを見かけると、いまでもつい手にとって「これは使いやすそう」「宇宙で役に立ちそう」などと思ってしまいます。
右側の壁は手順書や指示書など、ミッションに必要な書類をまとめておきます。天井と床は、衣類をはじめとする生活用品の収納スペースです。
ISSの各所にはカメラが設置されていますが、クルークォーターだけは例外です。宇宙飛行士のあいだでも、他人のクルークォーターには勝手に立ち入らないのが暗黙のルール。宇宙飛行士にとってクルークォーターはISS内で唯一のプライベート空間であるため、そこは互いへの配慮が大事にされています。
巣作りが一段落したら、パソコンのセットアップに取りかかります。パソコンは支給品なので、自分用のログインIDと初期パスワードを入力し、インターネットに接続できるかどうかを確認。時間があれば、ISSに到着したことを家族や友人知人にメールで知らせます。
なお、ISSで宇宙飛行士が自由にインターネットを使えるようになったのは2010年です。それ以前もインターネットは利用できましたが、メールやIP電話、ビデオ会議など、用途はかなり限定的でした。それが2020年には、動画配信サービスやストリーミングサービスなどもほぼ自由に使えるようになっていました。
巣作りとパソコンのセットアップを終えるころには夕食の時間になっています。ISS到着当日の夕食は歓迎パーティを兼ねており、ISSに先に滞在していた先輩宇宙飛行士たちが準備をするのが恒例です。準備が整ったら、「オレンジカクテル」「フルーツパンチ」と呼ばれる炭酸フリー・アルコールフリーのドリンクで乾杯! 翌日からISSでの生活・任務が本格的にはじまります。


