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かの有名な「日本書紀」を書いた人は、蘇我氏を悪く書く気マンマンだった!?|房野史典

かの有名な「日本書紀」を書いた人は、蘇我氏を悪く書く気マンマンだった!?|房野史典

日本の歴史を面白く読ませる、房野史典さんの新連載!『13歳のきみと、戦国時代の「戦」の話をしよう。』は、いまだに増刷を続けるロングヒット作品ですが、さて今回の連載は「歴史を動かした”事件”」で歴史を読んでいこう!というもの。

超有名な「大化の改新」のエピソードが、ウソだった!?という衝撃の前回から続きます!

*   *   *

では、前回のおさらいを少し。

 

蘇我蝦夷・入鹿親子が天皇をないがしろにしてマジ横暴。

悪の権化・蘇我氏を討つべく立ち上がった、中大兄皇子と中臣鎌足。

 

で、入鹿を討つ。そのあと蝦夷は自害。

というのが、ほとんどウソ。

 

 

ま、”ほとんどウソ”ってのは、言いすぎましたよね。中大兄と鎌足が蘇我入鹿を倒したのはこれホント。

ただ、一般的に語られる《蘇我氏 VS 中大兄・鎌足》=《悪 VS 正義》って構図。これがもう、まったく違う。

『乙巳の変』は、「悪いことしたやつらを懲らしめた」なんて時代劇的な善悪の話じゃありません。

 

んじゃ何が原因だったのか? 彼らの争いの発端は、

 

”唐”と”朝鮮半島”です。

 

前回出てきた、中国の「隋」って王朝がありましたよね。実はこの隋、かなり短命に終わり、変わって中華を統一したのが、「唐」という王朝だったんです。

 

この唐がね、激的にヤバかった。

 

中国には隋のころから発展した、

 

律令=刑罰のきまり(刑法)、=政治のきまり(行政法・民法))

 

という法律がありまして、唐の皇帝はこの律令をビシィィッと整備し、税をとる仕組みもバシィィッと整え、なおかつ官僚(国家公務員)の制度までズババババッと作りあげて、超とんでも大帝国を築いていたんです。

 

しかも唐ったら、モンゴル高原にあった国(東突厥(ひがしとっけつ))を支配下に置き、現在の新疆ウイグル自治区にあった国(高昌)を滅ぼしたりと、強大化を止めるつもりがまったくありません。

そんな巨大国家が「北、西と制覇したら、お次は」と目を向けたのが……

 

高句麗「え!! うち!!!?」

 

高句麗だったんです。

 

しかし、唐からのえげつないプレッシャーは、近くにいる百済や新羅にとってもマジ勘弁案件。そりゃもう脅威でしかありません。

 

そうなると、三国は考えるわけです。

 

朝鮮三国「唐に対抗できるよう、もっと国を強くしないと……。よし、”権力集中”だ!!」

 

力が分散してたんじゃ国は強くならない。”権力を一ヶ所”に集め、国全体のパワーアップをはかったんですね。

ただ、”権力を集中させた先”、これが国によってバッラバラ。

 

百済では国王が身内を追い出し、”王”に権力を集め、

高句麗では、なんと”大臣クラスの有力者”が、国王や貴族たちを殺害し、実権を握るというクーデターを起こし、

そんな百済や高句麗から攻められた新羅は、唐に助けを求め、”唐のやり方を取り入れてアップデート”していったんです。

 

んで、そこへきての日本。

おもちゃ箱をひっくり返した上から、大量のヘヴィメタルバンドが降ってきたような朝鮮半島の情勢が伝わると、日本のリアクションもやっぱり、

 

日本「対岸の火事なんかじゃねぇぞ! 朝鮮半島がピンチってことはオレたちも相当ヤバい! ”権力集中”ぅぅ!!」

 

ってことになるわけです。日本も朝鮮半島の国々と同じく、パワーアップをはかるんです、が、

 

ここに対立が生まれるんですよ(さぁやってまいりました)。

 

蘇我入鹿は、

 

入鹿「古人大兄皇子を大王(天皇)に即位させ、オレが政治を主導していく!」

 

ってことをやろうとする。

 

古人大兄皇子(古人大兄皇子)ってのは、”蘇我氏の娘”を母に持つ王子です。

入鹿としては、”蘇我氏の血が濃い”古人大兄を大王にして、今持っている絶大なパワーを維持しようと考えたわけです。

ほんで、”実権はみずからが握る”——という、先ほど見た高句麗に近い政治体制を目指していたと言われているんですね。

 

ところが、これに強烈な「ちょっと待った!」をかけたのが、

 

中大兄皇子「ふざけんな! お前らに権力は握らせない!」

中臣鎌足「すぐに官僚制度を整備して!」

軽皇子「中央政府に権力を集中させるぞ!」

中大兄、鎌足、軽皇子(かるのみこ)の3人だったんです。

 

軽皇子ってのは、皇極天皇の弟で、中大兄の叔父にあたる人です。そして、何を隠そう、乙巳の変のあと天皇に即位したのはこの人なんですね(孝徳天皇)

 

3人は、天皇を中心にして、官僚システムをバッチリ整えた政府をつくり、そこに権力を集中させようとした。こういうのを『中央集権』って言うんですが、これぞまさに唐が行ったことで、彼らはそこを目指したんです。

 

と、いうわけで。

《入鹿・古人大兄》と《中大兄・鎌足・軽》との間に対立が起こり、

さらに、蘇我氏の本家(蝦夷・入鹿)と分家(石川麻呂など)の間でも対立が起こっていたので、《中大兄・鎌足・軽+石川麻呂》というグループができあがって、結果、入鹿がぶっ倒されてしまった。

東アジア情勢のゴタゴタをきっかに起こった権力争い。これが、『乙巳の変』というクーデターのあらましです。

 

どうですか、これ。善悪の戦いとかじゃなく、The・権力闘争じゃありません?

 

でもね、そうなると、なんでパート1でお話ししたようなストーリーが今に伝わっているんでしょう?

理由は簡単。この話が、超ド級に有名な書物、

 

『日本書紀』に載っているから。

 

『日本書紀』っつったら、720年(乙巳の変から75年後)に完成したと伝わる、泣く子もだまる”日本初の正史”です。

”正史”とは、国家によって”公式”に、”正式”に編纂(書物をまとめること)された歴史書のことなんだけど——

 

例えば、入鹿が山背大江皇子を襲った話があったでしょ。これ別の史料には「蘇我蝦夷・入鹿、軽皇子や他の王族・豪族で計画したよ」と書かれていたりするんです。

ちょっと待って。もしこれが本当なら、入鹿の暴走なんかじゃなくて、「みんなで”邪魔な一族”を消した」という、こちらも権力争いの話になりますよね。

あれ? そうなると、蘇我さん親子(特に入鹿)の”悪者エピソード”の数々は、どこまでホント……なの?

 

実はですね、日本書紀には、「中国・朝鮮半島の本にある文章を借りてきて、メッチャクチャ大げさに盛ってるところがある」んですね。

もっとハッキリ言えば、「蝦夷と入鹿はマジで悪ぃやつだった! だから滅んで当然!」と、蘇我氏のことをことさら悪く書き立て、中大兄と鎌足を正当化するためのアレンジが加えられた可能性がある——というのが、多くの研究者の指摘するところなんです。

 

なるほど。今となっちゃ、入鹿たちに横暴な部分があったかどうかを知ることはできません。が、いずれにせよ『日本書紀』をつくった人たちは、”蘇我氏を悪く描く気満々だった”っぽいですね。でも、

 

なんで?

いったいなんでそんなことをする必要があったんでしょう?

(つづく)

配信元: 幻冬舎plus

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