「みいちゃん」が発達障害の女性を差別する用語として使用され…
すべてに共通しているのは、その露悪性と啓発性という二面性です。当然ですが、そこには作り手の「思い込み」や「誤解」、あるいは取材における情報の偏向も創作に反映されてしまいます。これはあらゆる創作物について回るものですが、実話風味がエンタメの要素を構成している場合、ハレーションを起こす可能性は格段に高まります。
例えば、先述の『みいちゃんと山田さん』では、支援者や当事者サイドなどから、作中に登場する男性の障害者の描き方について「実際にはこんな言動はしない」といった趣旨の批判が寄せられ、ネット上で議論になりました。
加えて、仮に啓発色が強い、堅実な作りのコンテンツであっても、衝撃的な部分だけが切り取られ、ネタやミームとして消費される状況が出てきます。そもそも題材の重さと消費のされ方のギャップは必ず生じてしまうものです。
最近、「みいちゃん」が発達障害当事者の女性を差別する言葉として使われ、問題になっているのはその一例に過ぎません。ネット上で、発達障害を公言している女性に対して「みいちゃんだ」とちゃかす現象が広まったのです。
貧困や障害などに苦しむ社会的弱者を取り扱うコンテンツは、その時代の「暗黒面」を告発する役割を負う半面、単純なバイアスや、エンタメの性質上、不本意な消費が起こり得ます。とはいえ、それは「のぞき見」的に消費する側を免罪する理由にはなりません。
だからこそ、私たちにはコンテンツとそれが意図するところを慎重に評価していくことが求められているのではないでしょうか。
