キャンバスという素材が「長方形」を強化した
パネル画, Public domain, via Wikimedia Commons.
14世紀のヨーロッパにおける絵画の主流は、木の板に描く「板絵(パネル)」でした。石や漆喰に描くフレスコ画と並んで主要な形式でしたが、板は重く、大判のサイズにしようとするとコストも手間もかさみました。転換期が訪れたのは16世紀のイタリア、とくにヴェネツィアでのことです。
亜麻や大麻(ヘンプ)を原料とした布地を木枠に張った「キャンバス」が、絵画の主要な支持体として普及し始めました。
カンバス, Public domain, via Wikimedia Commons.
ヴェネツィアの画家たちがキャンバスを選んだ背景には、実用的な理由がありました。海に浮かぶ都市であるため湿度が高く、漆喰に描いたフレスコはうまく乾かなかったこと、木の板は湿気を吸って変形しやすかったこと、そして何より帆船の帆に使われる大量のキャンバス地が近くで手に入り、安価だったことが挙げられます。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio, 1488/1490年頃 - 1576年) をはじめとするヴェネツィアの巨匠たちが大画面の作品を次々と制作できたのも、この素材の恩恵あってのことでした。
そして、キャンバスという素材は「長方形への偏り」をさらに強固にしました。布地を木枠(ストレッチャー)に張るとき、四辺をそれぞれ引っ張りながら固定するという作業が必要になります。
この張り作業が最もシンプルかつ均等にテンションをかけられるのが、四辺が直角に交わる長方形の枠なのです。不規則な形の枠に布を張ろうとすると、力のかかり方が不均一になり、表面にゆがみやたるみが生じやすくなります。
つまり、長方形のキャンバスは「作りやすく、仕上がりが安定する」という技術的な優位性を持っていたわけです。こうして、絵を描くための布が広く普及するにつれて、長方形という形式は美術上の慣習としてだけでなく、制作技術の観点からも「標準」として確立されていくことになります。
長方形を「当然のもの」として疑った芸術家たち
20世紀に入ると、長方形という形式そのものが問い直されるようになります。その動きの中で重要な役割を果たしたのが、1960年代ニューヨークで生まれた「シェイプド・キャンバス(shaped canvas)」の運動です。
シェイプド・キャンバスとは、長方形以外の形状のキャンバスを意識的に用いた絵画を指す言葉で、三角形、台形、多角形、さらには曲線で縁取られた形など、それまでの慣習を根底から覆すような作品が次々と生まれました。
この運動で先鞭をつけたひとりが Frank Stella(フランク・ステラ、1936–2024) です。彼は1958年から「ブラック・ペインティングズ(Black Paintings)」と呼ばれるシリーズで注目を集め、キャンバスの形状そのものを絵画の構成要素として意識的に使い始めます。
ステラにとって、四角いキャンバスは受動的な「器」ではなく、絵の構造と不可分な存在でした。彼の代表的な発言のひとつ「What you see is what you see.(見えているものがすべてだ)」は、ミニマリズム運動の非公式な標語にもなりました。
その後ステラは《Protractor Series(プロトラクター・シリーズ)》(1967–71) などで半円形を取り込んだ複雑な形状の作品を展開し、長方形の外側へと絵画の可能性を押し広げていきます。
一方、彫刻家・批評家として活動した Donald Judd(ドナルド・ジャッド、1928–1994) は、より根本的な批判を加えました。「絵画の最大の問題点は、長方形の平面を壁に立てかけたものであるということだ。
長方形はそれ自体がひとつの形であり、その中に置かれるものすべての配置を決定し、制限してしまう」という彼の言葉は、長方形という形式が画家の表現を縛る「制約」として機能してきたことを、明確に指摘したものです。ジャッドはその後、絵画と彫刻の境界を超える三次元の作品へと移行していくことになります。
Ellsworth Kelly(エルズワース・ケリー、1923–2015) もまた、長方形の外に踏み出した重要な存在です。1950年代後半から60年代にかけて、ケリーは既成の長方形・正方形フォーマットを捨て、独自の形状を持つキャンバスを制作し始めます。
なかでも《Yellow Piece(イエロー・ピース)》(1966) は、彼が長方形の支持体から決別した最初の作品として知られ、アメリカ現代美術史上の重要な転換点として位置づけられています。ケリーにとって、絵画とは壁にかけられた「物体(オブジェクト)」そのものであり、その形状こそが絵の主題でした。
https://www.moma.org/collection/works/169715
ソロモン・R・グッゲンハイム美術館は1964年に「The Shaped Canvas(シェイプド・キャンバス)」展を開催し、こうした動きに美術界から正式な注目が集まるきっかけとなりました。この展覧会を機に、長方形という規範はただの慣習にすぎないという認識が広まっていくことになります。
