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リッツカールトンと入れ歯|佐藤友美

リッツカールトンと入れ歯|佐藤友美

KU-KU。それは全人生否定ワード

反抗期まっさかりの息子に言われて一番傷つく言葉を、紳士淑女諸君はご存知だろうか。

「うるせえババア」でも、「死ね」でも「キモイ」でもなく
「口、くさい」である。

 

KU・CHI・KU・SA・I

たった5文字で人を打ちのめす言葉として、こんなにも破壊力がある言葉があるだろうか。

たとえば、である。

「あの人、いい人だよね」
「うん、でも口くさいよね」

「あの人、仕事できるよね」
「うん、でも口くさいよね」

もう、これだけでもう、人生が全否定。

神様仏様すみません。生まれてきてすみません……。私は無価値です。いえ、無価値ならまだいいんです。口くさくないならむしろ存在感が無でもいいです。これから一生口くさに悩まなくていいのなら、それが何の神様であっても帰依します。
そんな気持ちで土下座したくなる。それくらい破壊力のあるワードが「口くさい」である。
さて、ここまで私は「口くさい」と書いてきているが、プロのライターとして視認性を重視するなら表記は絶対に「口臭い」である。
だけど、「口臭い」の文字は見るだけでえぐられるし、正直、「口くさい」でも辛い。書く度にHPが減っていく。だからここからは、略してKU-KUとさせてほしい。

KU-KUの何が問題かって、清潔感にかかわるからである。
そして、清潔感は、本人の努力でなんとかなると思われている。そこが問題だ。
つまり、KU-KUな人は、一般的に不潔だと思われている。歯を磨いていないとか、虫歯を放置しているとか、当然やるべき身だしなみを怠っていると思われる。

でも、ちょっと待って。こっから本気で聞いて欲しい! 息子にも知ってほしい!
私だってもちろん、してる! 歯磨きしてる!

どんなに朝昼晩歯を磨いても、フロスして舌磨きして、定期的にクリーニングに行っても、キシリトールを噛みまくっても、すぐに虫歯や歯肉炎ができる人っているんだよ。私だよ。
過去に歯医者に課金してきた値段で、車が1、2台は買える。それだけ投資してもダメなんだ。すぐに歯茎が赤くなる。油断すると虫歯ができる。
親も歯が弱かったから、これはもう、遺伝なのだと思う。この歯の弱さはある種の病気だと思って憐れんで欲しい。
どんなに気をつけてもKU-KUになりやすい私は、歯に障害を持っていると思って欲しい。

<閑話休題>

樹木希林さんが生前、カンヌ映画祭でグランプリをとった映画『万引き家族』のワンシーンについて、「あれは、女優にとってヌードになるよりも恥ずかしいことよ」と言われた話を披露していた。
何かというと、入れ歯を外して洗うシーンである。
老いがなんたるかを感じさせるそのシーンは、樹木希林さんが自ら是枝裕和監督に提案したそうだ。インタビュー記事には、いつかやってみたかったと書かれていた。

そんな「ヌードになるよりも恥ずかしいこと」を、私は天下のゴージャスホテル、リッツ・カールトンのお手洗いで、いたしたことがある。

まあ、聞いてくれ。

「クリリンのことか!」

リッツ・カールトン東京のお手洗いは広い。
ここ、家賃払って住めるなというくらいに広い。

そんなゴージャスなお手洗いで私は歯を磨いていた。このあと、同世代の男性美容師さん2人と、取材を兼ねた会食が入っていたからだ。

あれはコロナ禍のことだった。美容院ではどんな感染対策をしている? 資金繰りはどんな感じ? そんな取材をさせてほしいと仲の良い美容師さんにメッセをしたら、「久しぶりにご飯でも食べながら話しましょう」となった。謹慎状態にみんなほとほと参っていたころだ。

緊急事態宣言は解除されていたけれど、相手は有名美容師の2人だ。人目につく場所は避けたい。それならリッツ・カールトンのレストランはどうでしょうと提案された。
普段はそんな高級な場所でご飯を食べたりしないけれど、今回ばかりは「衛生状態がしっかりしたところがいいですよね」と言われ、納得した。
それに私だってもう、人と会うのは久しぶりすぎて、鬱々としていたのだ。いいじゃないか。ここ1ヶ月外食していないんだし、リッツ・カールトン!

久しぶりにわくわくした気持ちで服にワンピースに袖を通し、リッツに向かった。
途中お手洗いでメイクをチェックしたとき、「あ、歯も磨いておこうかな」と思った。そこまではいい。まあ、よくあることだと思う。
だけど、コロナ禍じゃないですか。1階の隅っこにあるそのお手洗い、人の気配が全くないのね。
だからちょっと気が緩んだ。ついでだから、入れ歯も洗っておこうと思ったのだ。

え、入れ歯? と思った人はいたかしら。
そう、私、40歳からずっと入れ歯が入っているのである!

子どもを産んだあと、もともと弱い歯がさらに弱くなり、頻繁に歯医者に行く余裕もなくなり、気づいたら奥歯が左右3本、イカれていた。神経を抜くだけでは無理で、仕方なく抜歯してインプラントを入れようと思っていた矢先だ。
信頼している整体の先生に、「あなたの場合、インプラントは偏頭痛をさらに進行させる可能性がある。いい歯医者があるからそこに行きたまえ」と言われた。

そこの歯科医に薦められたのが「義歯」だった。

「左右にブリッジさせる義歯を作りましょう」
と言われ、私は、はい、わかりましたと答えた。

義歯。
ぎし。
GI・SHI。

この発音から、それが「入れ歯」であるって気づかなかったんだ!!

びっくりするほど高い見積もりをもらい、でも食に関わることだし、ひいては命に関わることだし、仕方ないなと中古車が一台買えるほどの値段を支払い、歯の型をとって「2週間後にきてください」と言われ再訪したときに目にしたものが
……
……
……
「入れ歯」だったときの衝撃!!!

義歯って、義歯って……
入れ歯のことかーーー!!!

ってなったよね。

クリリンのことか! と叫んだ悟空の気持ち、わかった気がした。
絶望と怒り。そして、哀しみ。

でもまあ、こちとら中古車一台分払ってますからね。あと、これ入れないと、奥歯ないからですね。泣く泣く入れ歯を使う人生が始まりましたよ。
みなさん、もうわかりましたか。
これがですね。
「嗚呼哀しみのKU-KU」の元凶となるわけです。

配信元: 幻冬舎plus

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