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国家と国民の「一体感」があった戦前・戦中|五木寛之,佐藤優

国家と国民の「一体感」があった戦前・戦中|五木寛之,佐藤優

少年飛行兵や少年戦車兵への憧れ

佐藤  平壌から京城まで、当時の列車で1時間半ぐらいですか。

五木  どうだろう、もうちょっとかかった気がしますけどね。でも鉄道のことは強く印象に残っています。小学生のころ、よく線路の上をトコトコ歩いてました。「このままずーっと歩いて行けば、満州、シベリアを通ってヨーロッパまで行けるんだ」なんていいながらね(笑)。世界とつながっているという実感がありました。そういう意味でも、僕の少年時代には、まだ日本がどんどん坂道を上昇していくという実感があったのです。

だから厭戦()的な考えは持たなかったし、反体制的な意識もなかったですね。あのころの日記を見ると、「国のために命を捨てる」という覚悟をなんべんも自分で確認して、それに自己陶酔しているような感じです。

佐藤  五木さんは陸軍と海軍、どっちに憧れました?

五木   僕は陸軍ですね。陸軍へのコースもいろいろあって、幼年学校から陸軍士官学校に進むのがエリートの出世コースなんですが、僕は早く戦地で活動したかったから、陸軍の少年飛行兵になろうかな、などと考えていました。あるいは少年戦車兵とかね。あれは中学1年か2年で受験できたんですよ。僕は中学1年で終戦を迎えましたが、もっと戦争が続いていたら戦車兵になったかもしれない。

佐藤   でも五木さんは背が高いから戦車には不向きですよ。戦車の中は狭いので、世界的に見ても戦車兵は背が低い。150センチ以下だとものすごく有利なんです。だからどの国も背の低い兵隊を集めてくる。

五木   へえ、150センチなら、ぼくでもなれたな。ちなみに司馬遼太郎()(1923年~1996年、小説家)さんは、陸軍の戦車兵として満州に配属されていたんですよね。そう小柄でもなかったけど。

ただ僕は飛行機が大好きだったので、いちばん憧れたのは少年飛行兵です。当時は飛行機の専門雑誌があって、熱心に購読していました。いまでいえば『カーグラフィック』(1962年~)みたいな雑誌です。「隼()」とか新しいタイプの戦闘機が紹介されると、気分が高まったものです。その前の九七式()戦闘機は固定脚だったので、引込脚()を採用した「隼」の登場にはすごくビックリしましたね。三式戦()の「飛燕()」もよく覚えています。アメリカのムスタングを模倣()した液冷()戦闘機でした。

佐藤  平壌は飛行場が多かったんですよね。

五木  ええ。ですから僕らはよく飛行場に見物に行って、「あれだ」「これだ」と騒いでいました。空冷()エンジンと液冷エンジンの音の違いを聞き分けられるぐらい、飛行機には詳しくなりました(笑)。敵国ではありますけれど、アメリカやイギリスの飛行機にも憧れて、写真をコレクションしたり。「イギリスのスピットファイアとドイツのメッサーシュミットはどっちが速いか」などと話し合ったものです。

佐藤  それは当然の成り行きとして、少年飛行兵を目指したくなりますね。

五木  そう。僕のひそかなアイドルは新司偵()という偵察機だった。飛行機好きの少年は、自然とそういう方向に行っちゃうんです。

 

※次回は4月11日(土)公開予定です。

配信元: 幻冬舎plus

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