多くの画家を魅了したシーンと挿絵をピックアップ
『ヘンゼルとグレーテル』は、子どもたちや語り手はもちろん、グリム童話が誕生した国・ドイツの芸術家たちをも惹きつけてやまなかった物語です。
ここでは、19世紀〜20世紀半ばに活躍した画家の挿絵から、とりわけ多く描かれてきた3つの場面をピックアップします。あらすじとともに、童話の挿絵の世界を味わってみましょう。
①森のなかを歩いていくシーン
児童書の挿絵のほか、人物画・風俗画も手がけたカール・オフターディンガーの作品。ヘンゼルが、帰路の目印として小石を道に落として行く場面。, Public domain, via Wikimedia Commons.
この物語の舞台といえば、ヘンゼルとグレーテルが迷い込む深い森です。ふたりは、きこりを営む両親と貧しい暮らしをしていましたが、やがて国じゅうが深刻な食料不足に見舞われ、森に置き去りにされてしまいます。その厳しい道中を描いた挿絵が何点も残されています。
多くのおとぎ話や冒険物語の挿絵を制作したカール・オフターディンガー(Carl Offterdinger, 1829〜1889年)は、幼い兄妹が両親に連れられ森に入っていく場面を、ドラマチックな構図と鮮やかな色彩で描き出しました。
帰り道の目印として、こっそりと小石を落とすヘンゼルに、スポットライトが当たるように演出されています。幼くも凛々しい表情が、印象に残りますね。
アレクサンダー・ツィックの挿絵。ツィックは、風俗画や歴史画からキャリアをスタートさせた画家で、写実的で臨場感に満ちた表現が魅力的です。, Public domain, via Wikimedia Commons.
いっぽうで、子どもたちの過酷な状況を、情緒豊かに表した作家もいます。アレクサンダー・ツィック(Alexander Zick, 1845〜1907年)は、古典文学や童話のほか、家庭向け・青少年向け雑誌の挿絵画家として活躍し、写実的で臨場感あふれる表現で人気を博しました。
帰り道を探し、身を寄せ合いながら夜通し歩き続けるふたりの姿が、克明に描かれています。注意深く進むヘンゼルと、兄にしっかりとつかまるグレーテルの様子から、不安を抱えながらも懸命に生き延びようとする意志の強さが感じられます。
②お菓子の家を見つけるシーン
オットー・クーベルが描いたお菓子の家。書物に限らず、1920年代から1930年代にかけて、学校の壁画や絵葉書にも童話の挿絵を描いたクーベルは、ドイツの名高い芸術家のひとりとして知られています。, Public domain, via Wikimedia Commons.
『ヘンゼルとグレーテル』と聞いてまっさきに思い浮かぶのは、やはりお菓子の家でしょう。
ドイツの有名な画家のオットー・クーベル(Otto Kubel, 1868〜1951年)は、グリム童話を忠実に再現した挿絵を制作しました。彼が描いたお菓子の家は、原作にあるとおり、ケーキの屋根と透きとおった砂糖の窓ガラスでできています。
また、この家に住む魔女について、「(前略)ひどく年をとったおばあさんが、杖をつきながら出てきました」「魔女は細い手でヘンゼルをつかみ(後略)」(※1)といった特徴を巧みに捉え、不気味な細身の老婆を描いてみせました。まるで、童話の世界が目の前に立ち現れたかのような作品です。
ルートヴィヒ・リヒターが細密に描写した『ヘンゼルとグレーテル』の挿絵。リヒターは、18世紀末から19世紀前半のヨーロッパで起こったロマン主義に影響を受け、近代の合理性や古典の保守的な表現から脱却するような作品を生み出しました。, Public domain, via Wikimedia Commons.
自然の風景や日常生活の描写にこだわり、緻密な表現を得意とした画家・版画家のルートヴィヒ・リヒター(Ludwig Richter, 1803〜1884年)は、兄妹と老婆が出会うシーンを、丹念に描き出しました。
ハート型のお菓子があしらわれた愛らしい家とは対照的に、猫やカラスといった不気味な動物を従える魔女。そして、怪しい老婆から妹を守ろうとするヘンゼル。それぞれの登場人物の感情が、一枚の絵に凝縮されています。
さらに、画面の下には、重要な4つの場面が表されています。ふたりが森に置き去りにされ、魔女のもとから逃げ出し、白い鴨に助けられて父親と再会する——『ヘンゼルとグレーテル』の世界観をたっぷりと味わえる作品です。
(※1)引用:小澤俊夫監訳『語るためのグリム童話① ヘンゼルとグレーテル』小峰書店、2007年、pp.144-145
③魔女がパン焼き窯に押し込まれるシーン
『ヘンゼルとグレーテル』の場面を1枚の絵画に美しく配置した、ハインリヒ・メルテの挿絵。メルテは風俗画家としても評価されました。, Public domain, via Wikimedia Commons.
この童話を読んだら決して忘れられないのが、グレーテルが魔女を退治する場面でしょう。出会った当初、老婆は親切にふるまいますが、実はお菓子の家で子どもをおびき寄せて食べてしまう、恐ろしい魔女だったのです。
苦境を抜け出すために、自分たちをパン焼き窯に入れようとする魔女を出し抜くという、思い切った行動が必要だったといえます。
画家のハインリヒ・メルテ(Heinrich Merté, 1838〜1917年)は、物語の一連の流れを、1枚の絵画で色鮮やかに映し出しました。歴史的な背景や、衣装・建築史に関する専門知識を持っていたとされるメルテは、登場人物の服装や家屋を、やわらかいタッチで丁寧に描いています。
画面の右下のひとコマが、グレーテルが魔女をパン焼き窯に押し込んでいるシーンです。メルテはストーリーを忠実に再現しつつも、残酷さを押し出すのではなく、善が悪に打ち勝ち、安心が訪れるという童話のテーマを伝えているといえます。
リービッヒ社の肉エキスを宣伝する広告カード。基本的に6枚セットで印刷されていたそうで、『ヘンゼルとグレーテル』も6種類のカードが残されています。, Public domain, via Wikimedia Commons.
最後にご紹介するのは、肉エキスを販売していたリービッヒ社(Liebig Company’s Fleisch-Extract)(※2)が、商品の宣伝のために発行していた広告カードです。童話やオペラをはじめ、日常の風景や植物画などさまざまな図柄があり、大好評となりました。
上の画像を見ると、必死に窯の扉を閉めようとするグレーテルの姿や、何とか這い出ようとする魔女の形相に目を奪われます。
第二次世界大戦までに出版されたドイツ語版のグリム童話で、魔女を窯に押し込めるシーンが多数描かれていることからも、この場面が人々の心を捉えていた様子がうかがえます。(※3)
このように、印象的な場面とともに挿絵をたどると、『ヘンゼルとグレーテル』を新しい視点で見直したり、当時の生活を想像したりする楽しみに出会えますよ。
(※2)1865年にリービッヒ社を創設者したユストゥス・フォン・リービッヒ氏(Justus von Liebig)は、自身が製造する牛肉エキスが、庶民や貧しい人々にとって栄養価の高い食品になると考えました。創業から30年が経つ頃には、肉エキスは世界中に流通し、広告カードも高い人気を獲得しました。
(※3)参考:西口拓子『挿絵でよみとくグリム童話』早稲田大学出版部、2022年、p.334
童話から見えてくる!危機の時代を生きた人々の姿と子どもの成長
ここからは、『ヘンゼルとグレーテル』が語られた時代背景を探ってみましょう。
物語の冒頭で、「あるとき、国じゅうがひどい飢饉(ききん)におそわれると、きこりには毎日のパンさえなくなってしまいました」(※4)とあるように、ふたりは過酷な生活を送っていたことが分かります。
また、もうひとつ注目したいのが、壮絶な体験を経た後のグレーテルの成長です。困難に直面すると泣き出してしまい、兄に頼り切りだった少女が、危機を脱するために魔女を退治し、さらには家に帰る方法まで見つけます。
童話からどのような歴史を読み取れるのか、グレーテルの成長にはどんな意味が込められているのかをひも解きます。
(※4)引用:小澤俊夫監訳『語るためのグリム童話① ヘンゼルとグレーテル』小峰書店、2007年、p.135
飢饉に見舞われた民衆と童話の関係
オットー・ウベローデ(Otto Ubbelohde, 1867〜1922年)による『ヘンゼルとグレーテル』の挿絵。両親に連れられて、幼いふたりが森の奥深くへと進む場面。, Public domain, via Wikimedia Commons.
中世のドイツでは、天候不順や戦争の勃発によって何度も飢饉が訪れ、人々の記憶に忘れがたいほど刻まれたようです。
童話は、もともと民衆の娯楽として口承で語られてきたため、『ヘンゼルとグレーテル』にも、彼らの記憶が残されているといえるでしょう。
この物語を現実的に捉えると、食糧不足が原因で、子どもたちが森に置き去りにされてしまったという事実が浮かび上がります。
幼い兄妹の母親が、「ふたりを見捨てない限り、家族全員が飢えてしまう」と発言していることから、危機迫った状況がうかがえます。
しかし、多くの童話に共通しているのは、魔法の力や自然による救済が登場する点です。
ドイツ文学者の高橋義人氏は、「メルヘンの語り手はそうした凄絶な状況を描きながらも、同時にこの現実を乗り越える夢を描かずにはいられなかった」(※5)と考察しています。
キリスト教が広まる以前のヨーロッパにおいて、自然界には人智を超えた魔術的な力があると信じられていました。『ヘンゼルとグレーテル』に、深い森や魔女が登場するのは、かつての自然信仰に由来しているといえます。
童話の背景に注目すると、歴史的な事実だけでなく、中世の人々の生活や考え方が見えてきます。
(※5)引用:高橋義人『グリム童話の世界—ヨーロッパ文化の深層へ』岩波書店、2010年、p.16
母親と老婆から自立するグレーテル
オットー・クーベルが手がけた挿絵。ヘンゼルが太ったかどうか、魔女が指をさわって確かめる場面。, Public domain, via Wikimedia Commons.
『ヘンゼルとグレーテル』を読み解くもうひとつの鍵は、グレーテルの成長です。
ドイツの教育者・著述家のカール=ハインツ・マレは、この童話を、子どもの自立をうながす両親と、幼い兄妹の成長のストーリーとして解釈しています。(※6)
当初、兄に頼ってばかりで、老婆にも甘えていたグレーテルですが、母親に見捨てられ、魔女にあらゆる家事を押し付けられたことをきっかけに、目覚ましい成長を遂げます。
オットー・ウベローデが描いた、白い鴨とともに川を渡るシーン。魔女の家から逃げる途中で大きな川に差し掛かり、容易には渡れないと分かると、グレーテルは白い鴨に向こう岸に連れて行ってもらおうと提案しました。, Public domain, via Wikimedia Commons.
中世のヨーロッパでは、7歳になると、子どもは「小さな大人」と見なされ、経済的な自立をうながされたそうです。
ヘンゼルとグレーテルの年齢は具体的に書かれていませんが、当時の習慣と食糧不足があいまって、両親から離されたと考えることもできます。
また、ラストシーンで、ふたりは無事に家にたどり着き、父親と再会しますが、母親は亡くなっていました。つまり、母親と老婆に頼らずとも、グレーテルが問題を解決できるようになったと示しているとも捉えられます。
このように、中世ヨーロッパの文化と童話を重ねてみると、すでに知っているお話でも、新鮮な発見があるでしょう。
(※6)参考:森義信『メルヘンの深層』講談社、1995年、p.90
