
4月28日に放送された「プロ野球レジェン堂」(毎週火曜夜10:00-10:55、BSフジ)。今回のゲストは大阪近鉄バファローズで“18歳の4番打者”として一時代を築き、引退後は指導者として数々の名打者を育て上げたレジェンド・土井正博だ。MCの徳光和夫、遠藤玲子とともに、自身の野球人生と指導哲学、そして数々の運命的なエピソードを語り尽くした。
■「ファイティングポーズをとらないと」指導者・土井が語る攻めの哲学
現役時代の活躍はもちろんだが、土井は指導者としても高い評価を受けている。清原和博や和田一浩、中島裕之をはじめ、土井のもとで育った名打者は少なくない。そんな土井が番組の冒頭、指導者として最も苦労したのが松井稼頭央だったと語る。
スイッチヒッターへ転向する際、右投げの松井が左打席に立つことで右肘をケガするという懸念があった。周囲から反対の声が上がったが、それでも二人三脚での挑戦を続けた結果として松井の打率は.221から.283へと大きく向上。球界を代表する打者へと成長したが、土井は「ここまでなってくれるとは思ってなかった」と謙虚に松井の努力と才能を称賛した。
さらに徳光から「土井さんの教えるポイントで共通して言えることは?」と問われると、「逃げたらダメ」と即答。「ケガしてでもいいからファイティングポーズをとらないと。当てられたらやり返せ」と語るその言葉には、攻めの土井らしい熱い血を感じられる。
そこに徳光が「清原はちゃんとやってましたね」と語ると、スタジオから笑いが。実際、土井が指導した中島や栗山巧、浅村栄斗などの面々を見ても、“土井イズム”は確かに継承されていることがわかる。思い返しても、なるほど“ファイティングポーズをしっかり取っている”面々ばかりだ。
■子分を連れたヤンチャ坊主からプロの世界へ…野球との運命的な出会い
1943年に大阪で生まれた土井は、幼少期に父を戦争で亡くして母とともに厳しい生活を送っていた。「ものすごい苦労したと思います」と母を思いやる一方で、自身は“ヤンチャ坊主”として過ごすなかで「遊ぶことについては困らなかったですね」と振り返る。
そんな土井の人生を変えたのは、中学時代に教師から渡されたソフトボールだった。「ソフトボールひとつあげるから、みんなと遊べ」と言われたことがきっかけで野球と出会う。ケンカに明け暮れていた土井に対して「悪いことしないで校庭で遊びなさい」という行動を促した先生に、徳光と遠藤は「いい先生ですね」と感心。さらに徳光が「そのまま育っていたら、ただの暴れん坊になっていたかも」と語ると、土井も苦笑いを浮かべた。
さらに高校進学も異色の経緯だった。実家は母親が文房具店を営んで生計を立てており、中学時代から土井も配達などを担当して家業を手伝う日々。そんななかで偶然、配達先の中に大鉄高校の校長先生の自宅があった。そして中学卒業を控えたある日、「ウチの学校へ来ないか?」と誘われたことをきっかけに大鉄高校へ入学することになる。
大鉄高校といえばいまでこそ福本豊や駒井鉄雄など多くのプロ野球選手を輩出している名門校だが、当時は弱小チームだった。当然、校長からの誘いも野球とは一切関係なく、土井の人柄や家業を手伝う姿勢が評価された結果。プロ野球選手といえば野球推薦やスカウトなどで高校へ進学するケースも多いが、意外ないきさつに徳光と遠藤は驚きの声を上げた。
■“運”と覚悟が交差した野球人生…レジェンドの言葉が示すもの
土井は自身の野球人生を振り返ったとき、「ライバルみたいに助けてくれた人がたくさんいる」と語った。その1人に挙げたのが、八尾高校で1年生エースとして活躍していた久野剛司だ。
久野は高校時代から注目される存在で、公式戦にはプロ野球のスカウトも訪れていた。土井が1年生の秋の試合で久野と対戦する機会があり、「目をつぶって振ったらホームランになった」という。大鉄高はその試合に勝利して翌年のセンバツ出場を決めたほか、スカウトの注目も久野から土井へ移った。
高校2年のときにプロ入りし、弱冠17歳で近鉄と契約した土井。しかし華々しいスタートとは裏腹に、その後の道行きは順風満帆とはいかなかった。1年目から解雇リストに載るという厳しい現実に直面し、本人の口からも「もう辞めます」と弱音がこぼれるほど追い詰められる事態に。
それでも新監督の就任によって状況は一変し、18歳で4番打者に抜擢。「人間の運ってこんなもんだな」と語るその言葉には、運命の二面性に対する達観がにじむ。それでも再び成績は振るわず、ヤジに苦しむころ、ついには自らスタメン外しを志願。それに対して監督は「使っている俺のほうがどんだけ苦しいのかわかるのか?もう1回目を覚ませ」と檄を飛ばし、夜間の猛特訓が始まったという。
今回の放送を通して見えてきたのは、土井の野球人生が努力だけでなく、そして運だけではない何かによって大きく形作られてきたという事実だ。そうしていくつもの困難を乗り越えた先に、「逃げたらダメ」というシンプルで強烈な信念が残ったのだ。
数々の名選手を育ててきた言葉に宿るのは、単なる精神論ではなく自身の壮絶な経験に裏打ちされたリアルな野球哲学にして人生哲学の重み。レジェンドが語る一つひとつの言葉が、今なお色あせない理由を改めて感じさせる放送となった。

