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【熊本地震】恐怖の時こそ明るい目標を…前知事・蒲島氏が振り返る10年〈中〉

【熊本地震】恐怖の時こそ明るい目標を…前知事・蒲島氏が振り返る10年〈中〉

熊本地震の対応に追われる中、知事だった蒲島郁夫氏は「創造的復興」を打ち出した。その方策を議論する有識者会議は、前震の発生から3週間で初会合を開き、2か月で提言をまとめた。蒲島氏は「時間的な緊迫性」が復興の推進力になったと語る。(上からの続き) 

【熊本地震】遠慮の文化は対応を遅らせる…前知事・蒲島氏が振り返る10年〈上〉はこちら

崩落した阿蘇大橋(2016年4月16日) 

高齢者に快適・安全な仮設住宅

対策本部で目まぐるしく地震の被害に対応している時に、本震が来ました。益城町はまたしても震度7。たて続けに2回の激震に見舞われた経験は誰にもありません。手が空いた県の職員をみんな益城町に出しましたが、発生が未明だったので被害状況がなかなかわかりません。朝になって南阿蘇村の阿蘇大橋が崩落しているのをテレビの映像で見て、対策本部ではみんな愕然としました。 

インタビューで質問に答える蒲島前知事  

本震の直後に県の幹部を呼んで、「これは大変な地震だから、県民に今後の復旧・復興の方向性を出そう」と提案しました。副知事を含めた幹部は「まだ行方不明者の捜索が続いている。早すぎる」と反対しましたが、恐怖の中にいる時ほど、先につながる明るい目標を示す必要があります。<1>被災者の痛みを最小化する<2>単に元の姿に戻すだけでなく、創造的復興を目指す<3>復旧・復興を熊本のさらなる発展につなげる――という「復旧・復興の3原則」を示しました。 

単なるお題目のように見えるかもしれませんが、方向性を打ち出す意味はあります。例えば仮設住宅。「仮設」ですからなるべく、使用済みになれば捨ててもいいものをつくりがちです。でも、被災者の痛みを最小化するという原則に沿えば、家を失ったお年寄りが快適・安全に住める仮設住宅にしないといけない。居心地のいい仮設住宅を整備し、あわせて県産材を使ってコストを引き下げて、仮設住宅と同じ居心地の「復興住宅」を開発し、仮設退去後の生活拠点を用意しました。 

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復興の成否決める「最初の3か月」 

3原則に盛り込んだ「創造的復興」の方策を検討する有識者会議も、早急に作ることを決めました。県の幹部は「われわれですら先が見えない時期に、有識者会議なんて早すぎる」という反応でしたが、混乱する県の職員を助けるためにも有識者会議が必要でした。私が五百旗頭真さんと御厨貴さんに電話して、OKをもらいました。知事が自ら動いて委員までお願いしてしまったら、もうやるしかありません。反対していた県の幹部も、そこからは積極的に準備に動いてくれました。 

五百旗頭さんはハーバード大で知り合って以来、50年近くにわたる友人でしたし、御厨さんとも旧知の仲でした。五百旗頭さんからは、「東日本大震災の有識者会議は人数が多すぎて取りまとめに時間がかかった」と聞いて、委員は7人に絞りました。 

有識者会議は5月10日に初会合を開き、東京ではなく熊本で連日会議を開いて、創造的復興の道筋をまとめてくれました。復興提言がまとまったのは6月19日。復興対策会議の初会合は災害発生の3か月後くらいが普通でしょう。前震から3週間で初会合、2か月で復興提言というのはすごく早いし、提言の中身も充実したものでした。 

振り返ると、「最初の3か月」は、その後の復興の成否を決める最も重要な期間でした。すばやく計画を策定したことで、政府に根拠を持って要望でき、「時間的な緊迫性」を持って復興を進めることができました。  

くまもと復旧・復興有識者会議委員
座長 五百旗頭いきおべ真 熊本県立大理事長
座長代理 御厨みくりや貴 東大名誉教授
金本良嗣 政策研究大学院大特別教授
河田恵昭 人と防災未来センター・センター長
谷口将紀 東大教授
坂東真理子 昭和女子大理事長
古城佳子 東大教授

(敬称略。五百旗頭氏は故人)

熊本復興に向けた最終提言について記者会見する蒲島・熊本県知事(右)と五百旗頭座長(2016年6月19日)

有識者会議はある程度震災復興のめどがついた時点で解散する予定でしたが、7人全員が「蒲島さんが知事である間は、この会議は残しましょう」と言ってくれた。2020年7月に球磨川流域で大きな水害が起きた時にも、7人はすぐに集まってくれました。私は「7人のサムライ」と呼んでいます。 

 地元負担の最小化 

いち早く創造的復興の方針を打ち出したのですから、具体化も遅れることなく進めなければ意味がありません。元に戻すだけでなくそれ以上のものにするとなると、当然費用がかかります。「遠慮の文化」を捨てて、私は当初、東日本大震災と同じように地元はゼロ負担で、とお願いするつもりでした。 

阪神・淡路大震災の時に、貝原俊民知事も創造的復興を考えて、神戸港を韓国の釜山港よりいい国際港にしようと考えていたようです。でも、阪神・淡路復興委員会の特別顧問になっていた後藤田正晴さんに、「それは自分たちでやってほしい。政府がやるのは原状復帰まで。プラスアルファまで金は出せない」と却下されたといいます。私のゼロ負担の要望に対して、政府も自民党もネガティブでした。法改正も必要で、それには1年半か2年はかかることもわかりました。 

そこで要望を「負担の最小化」に切り替えました。菅義偉官房長官(当時)に面会し、「熊本県は負担ゼロは求めません。政府は負担の最小化という形で支援してほしい」とお願いしたところ、理解してくれて前向きな支援を約束してくれました。 

創造的復興の具体例として最初に打ち出したのが、県道熊本高森線のうち、益城町のメインストリートとなる3・8キロの4車線化(2026年3月に完了)です。 

  益城町の県道熊本高森線3・8キロの4車線化は2026年3月に完了した    

地震の前は2車線(片側1車線)で沿道の建物が倒壊し、緊急車両が通れなかった。4車線化で道路幅は2・5倍になり、道路が広がれば、そこから町ができていく。道路は創造的復興の基本です。益城町は地震の被害が最も大きく、町議会は「負担できない」と拡幅工事費用の負担を断りました。でも、町の負担を最小化する形で4車線化にめどをつけました。(下に続く) 

(聞き手・構成 読売新聞東京本社編集委員 丸山淳一)

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配信元: 防災ニッポン