「上京」におけるたったひとつの後悔「『大阪』への執着は変わらない」【連載:しょぼくれおかたづけ 第13夜】

「上京」におけるたったひとつの後悔「『大阪』への執着は変わらない」【連載:しょぼくれおかたづけ 第13夜】

「THE W初めての決勝進出は、大阪の事務所に所属していたときのことだった」
「THE W初めての決勝進出は、大阪の事務所に所属していたときのことだった」 / 提供=にぼしいわし・いわし

にぼしいわし・伽説(ときどき)いわしによる、日々の「しょぼくれ」をしたためながら、気持ちの「おかたづけ」をするエッセイ「しょぼくれおかたづけ」。 

いわしにとっての「上京」には、たくさんのメリットがあった。
夢をかなえるための、自分たちのこれからのための、ポジティブな上京。
それでも、その決断になかなか踏み切れなかったわけがある。
——「大阪で売れる」という夢を、破ることになってしまう、という後悔。
この夢には、たくさんのメリットと同じくらいの重さがあった。

私は、まだまだ大阪に囚われている。囚われている、というより、焦がれている。
大阪という場所に、大阪で会った人に、借りっぱなしのままのものがまだまだある。
早く大きくなって返したいと思う。あの時返せなくてごめんね、これからもよろしくね、そんな気持ち分のおまけを、たっぷりとつけて。

■第13夜「恩返ししたいねん」
「上京」なんて絶対しないと思っていた。絶対に大阪で売れたいと思っていた。
でも、芸歴は止まってくれない。私たち芸人としての生活と、自分自身の人間としての生活。今の現状のままでは何も変わらない。
そう考える期間がどんどんと増えた。

そして私は決めた。

 四ツ橋のコメダ。今から話し合いを迎える私にはこたえる重さのドアをギィと押す。店員が軽い足取りでスタスタやってくる。
 この店員にとっては今日来るお客さんの中のひとりでしかないのか、こんな大事な話をするのに、と思う。ひとりでいるのに、店員に人差し指と中指を立て、人数を伝える。直後に、今ひとりしかいないのにこの指はおかしい、店員さんも怪訝な顔をしていることに気がつく。あわてて「あとでもうひとり来ます」と声が出る。店内のスピーカーから流れているのかと思うくらい自分から遠い場所から聞こえる声だった。いつもよりねばっこい汗をかいていることがわかる。

 今日決まる。私たちの今後が決まる。
 気を抜いてしまうと、これから2人で話し合いをすることはコメダにいる全員が知っているはずと思ってしまうくらい、自意識過剰で、この空間の主人公にならずにはいられなかった。

4人がけの広々としたテーブルに案内された。2人がけの席だって空いてるのに。やっぱり見透かされてると、なぜかどこかで安心してしまった。

 今日、決めていい。そう、みんなに言われているようだった。

 今の私は、長靴の形のグラスのメロンソーダに目移りすることはない。カフェインぶち込んでしっかり考えないといけないからホットコーヒーのでかいやつ。いそいそと注文しようとすると、相方が来た。いつもより背中が丸まっている。緊張しているときの印だ。
 コーヒーを注文し、届くのを待てずにA4のネタ帳をあける。左も右も空白の見開きのページを探す。ページが残り少ないことに気がつく。前には私の苦悩と希望がたくさん詰まっていてそれにまた緊張が過ぎる。

 左のページに「メリット」、右のページに「デメリット」と書いて四角で囲む。

「率直に、私は東京行きたい。というか、東京しかないと思う。どう思う?」

 頭で考えたことを言葉にするのが苦手な相方は、間違えないようにていねいに確認しながら答える。

「うちも、東京しか、ないと思う。でも、」

「でも」の続きはわかった。

「お互い後悔ないように、ちゃんと考えて結論だそう」

「うん」


「まずは、メリットやな」
 上京するメリット。
・ライブがたくさんある。
・自分たちで主催しなくてもレベルの高いライブがゴロゴロある。
・しかも、東京にたくさん知り合いがいるから、ライブがなくなることはなさそう。
・フリーだけど頑張ってツテを使えば、TVのオーディションを受けられるかもしれない。
・今まで東京に遠征していた分の交通費が浮く。
・大阪でこのままやっているよりもチャンスが多い。

 どんどん埋まっていく左のページ。そりゃそうだ。TV番組のオーディションもない。M-1も準々決勝止まりで毎年何も変わらない。THE Wだって、決勝に行った翌日にはいつもの生活に戻っていた。そもそも、自分たちでライブを開催しないかぎり、賞レースのために調整できるライブはない。じゃあそのライブのオファーは? ギャラ交渉は? 東京から大阪に来るゲストへの新幹線のチケットは? スタッフへの教育は? お笑いに関係ないことをしている時間、お笑いにちゃんと向き合ったら? 私たちは大阪にいるから売れていないかもしれない。そんな言葉を口にするのは自分への甘えだから言いたくなかった。でも、脳裏に過ぎる。東京に行った方がいいことはわかっている。

 「じゃあ、デメリット」

 ペンが止まる。拍動が急に早まったのがペンを握る指からわかった。これがあるから、上京できなかった。

 ・「私たちの力では大阪で売れることができない」と認めることになる


■あの日の約束を、私は絶対に忘れない
【写真】「上京を決めたあとに行った沖縄でのライブ、気もそぞろな私の顔」
【写真】「上京を決めたあとに行った沖縄でのライブ、気もそぞろな私の顔」 / 提供=にぼしいわし・いわし

 そこまで大阪に執着する理由はシンプルだ。

「大阪から、フリーでも売れてみせます!」
 そう、大阪のお客さんたちと約束したからだ。

 
 私たちは大阪から売れたかった。小さな事務所でもフリーでも、おもしろいやつはいるんだぞと、東京に知ってほしかった。大阪にいる私たちを支えてくれているお客さんに、恩返しがしたかった。誰も成し遂げていないことをやって、びっくりさせたかった。
 頭の中に、お客さんひとりひとりの悲しんでいる顔が浮かぶ。私たちに何かを託してくれていたお客さんたちをこんな顔にさせてしまうだろう。多分私たちを応援してくれている人たちの中には、自分の人生がうまくいかないとき、無理難題を目の前にしても突き進もうとする頑固者の私たちがいたと思う。そのお客さんたちに笑ってもらって楽しんでもらって、次の日からも頑張れる活力を与えるのが私たちの仕事なのに。

 とんだ自意識過剰かもしれない。私たちがいなくたってお客さんはこれからも楽しいお笑いライフを過ごすはずだ。でも私たちは約束した。だから、約束をちゃんと果たしたい。この約束は、私のただの意固地かもしれないことはわかっている。でもここまで支えてくれたお客さんにいいところを見せたい、応援してよかったと思ってもらいたい。

 この「上京」においては、たくさんの言い訳をすることだってできた。
 たとえば、もっともっと、大阪のお笑いが盛り上がっていたら。会場や機材が充実していたら。制作を担ってくれるライブ団体があったら。もの知りな技術さんが近くにいたら。芸人がお笑いに集中できるような環境をつくってくれるスタッフさんがいたら。血眼になって売れようとしている芸人がいたら。大きな事務所以外からでも売れている人たちがいたら。私たちは「上京」しなくてもいいのに、と。

 いや、こんなこと、何にも関係なくて、ただただ自分たちが売れられなかったのが悪い。
環境は悪くない。スタッフも他の芸人も悪くない。本物は、こういうときに結果を出す。私たちがただ、力不足なだけなのだ。

「私の大好きな大阪のライブ。最後になってしまったこの日、内心めちゃくちゃさびしかった。またね」
「私の大好きな大阪のライブ。最後になってしまったこの日、内心めちゃくちゃさびしかった。またね」 / 提供=にぼしいわし・いわし

 上京して10月で2年が経つ。マンションの家賃が5万円上がった。少ないけれどTVに出ることもあった。応援してくれるファンの方々が増えた。優勝して帰ったとき、おめでとうと涙ぐんでくれる人がたくさんいた。でも、全然まだまだだと思う。

 大阪で売れることはできなかったけど、私は、大阪の人たちを喜ばせる術を知っている。
 せめてこれだけはやらせてほしねん。恩返ししたいねん。

 私は、絶対に、大阪で開催しないといけないライブがある。構想がある。資金も準備した。スタッフもついている。でも、まだまだ私たちの知名度や力不足で開催に漕ぎ着けられていない、そんな前途多難なライブである。
でも私たちが、力をつければ絶対に大丈夫。

 でも大阪のあのお客さんもこのお客さんも喜んでいる顔が自然に思い浮かぶ。絶対開催する。私は心臓を強く握った。

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