福川川で夏山女魚を掛ける
昼思う存分に休憩、あと半日は注油(アルコール)なしで頑張れそうだ。帰路、福川川(ふくがわがわ)に寄る。ここも多くの釣り人に愛されている川なので魚が生き残っているとしたら、したたかに鍛えられた野生を宿しているはずだ。「キャストは上手くいっている」と、自信めいたものがファールド君のおかげで芽生えてきていたが、何もないままフライだけが戻ってくる。
土のように重たい雲が森を覆う。冷たく澄み切った瀬は沈黙したきりである。もう本日使用分の身魂をほとんど使い果たしかけていた。空の気分に合わせフライを換えた。黒々としたEHCの背に黄色の目印を背負わせた目立つものにした。不思議なものでこれで釣り人の気分も変わる。遠目に投げたフライがゾウガメ岩の向こうに消えようとした瞬間、小さく飛沫が散ってラインが走った、来たっ、慌てて竿を跳ねる、掛けた。美しいヤマメだった。まだ指紋一つ付かない状態で残されていた瀬に向かって流れに干渉されないまま上手くフライが届いたのだった。
〝夏山女魚一里一匹〟というけれど、夏岩魚でもいいよとか、喜寿アングラーに代わって車が一里走ってたっていいよとか、誰かが言ってくれたらこの日はこれで充分に完成されたのだった。
ファールドリーダーのまとめ
なかなかのファールド君の働きぶりで楽しい1日だった。だが、当然、モノの持つ正が負を兆すということがある。ファールド君が素直すぎてリーダーがフライリーダーより先に落ちることがあった。メンディングをするとフライがすっ飛んでくることもあった。フロータントが不十分で、すぐに水を吸って重くなり瀬を叩いてしまった。その他、こまごまと難儀をしたが、すべて使い慣れないことからくることなのでブンブン使い込むしかないのだ。だがひょっとしたらその途中で、やっぱりナイロンだ、と回帰する釣り人もいるかもしれない。
この歳だから、初級者からの脱出に鈍重な持続力を強いられるより、やっぱりモノの力を借りてでもパッと上手くなりたいと思っている。だがモノはあくまでも形のうちにとどまっているわけで、結局、技とか注意力がなければモノが生きることはない、とモノの基本を改めてファールド君から教えられた。ナイロンリーダーに今でもてこずっている喜寿アングラーとしては、どちらがいいかと聞かれたら、「ウーン…」と考え込んだ後、やっぱり個性を愛するという誰もが知っている愛の定説を持ち出して答えることにしたい。

