
そんな同社はこの5月に、「クックハウス」のブランドロゴをリニューアル。食パンをイメージしたフレームの中に、パンのふっくら感を感じさせる「cookhouse」の丸っこい文字。フレームは大きく開けた口にも見えるようにデザインされ、「cookhouse」の文字はチョコレートソースのようにも見え、毎日の生活の中でパンを楽しむそばに、クックハウスがいつもいられたらという想いが込められている。
さらに今、パン業界の常識を覆すような新たな挑戦にダイヤは乗り出している。
2026年4月20日、大丸梅田店にオープンした新ブランド「D.baguette by parigot & DIA(ディー・バゲット バイ パリゴ アンド ダイヤ)」だ。注目すべきは、その意外なタッグにある。
世界最高峰の製パン競技会で日本を世界一に導いた「Boulangerie Parigot(ブーランジェリー パリゴ)」の革新的なオーナーシェフ・安倍竜三さん。そして、ダイヤの品質を長年支えてきた製造部長・仲西功次さん。世界を知る職人と、大阪の老舗を支えてきた職人が手を取り合い、全国初のベーカリーブランドが誕生した。
「老舗企業」と「世界を極めた職人」は、なぜ共に歩むことになったのか。そして、その挑戦は大阪のパン文化をどのように変えていくのか。
今回は、ダイヤの3代目代表取締役社長・多田俊介さんと、現場の最前線に立つ仲西功次さんに、オープンまでの約1年におよぶ試行錯誤と、その根底にある「かかわる人すべてを幸せにする」という信念について話を聞いた。

■世界一のシェフは、なぜダイヤを選んだのか?
——世界一の称号を持つ安倍シェフが、なぜダイヤさんをパートナーに選んだのでしょうか?
【多田俊介】実を言うと、私自身が一番「なぜうちなんだろう?」と驚いていたんです(笑)。きっかけは大丸梅田店さんの15年ぶりとなる大規模リニューアルでした。大丸さんは目玉として安倍シェフに「パリゴの2号店を」と熱望されていましたが、安倍シェフには「職人の週休2日制を維持しながら、百貨店での毎日営業をどう両立させるか」という、働く環境への強いこだわりがあったんです。
自社だけでは対応が難しいなか、安倍シェフから直々に共創の提案をいただきました。実は安倍シェフ、以前からプライベートで私たち「クックハウス」のパンを何度も購入してくださっていたそうなんです。2021年にテレビ番組『魔法のレストラン』で共演した際も、安倍シェフはおすすめの店としてうちを挙げてくれましたが、当時は「リップサービスかな」と思っていました。
ですが、今回のお話を通じてそれが本気のリスペクトだったんだと知りました。ビジネス上の提携ではなく、私たちのこれまでを認めていただけたようで本当にうれしかったですね。

——「ダイヤさんなら自分の理想を形にできる」という確信が安倍さんのなかにあったのですね。
【多田俊介】安倍シェフは、私たちが長年培ってきた「安定した品質で毎日パンを届ける」という技術力を高く評価してくれました。ダイヤは約30種類の生地を扱い、毎日7000人分ものパンを焼き上げています。
これまで別々の道を歩んできた両者ですが、根底にある「おいしいパンで人を幸せにしたい」という想いが一致し、このプロジェクトが動き出したのです。
■パン作りの正解は“早さ”ではない?
——ダイヤさんの得意とする安定的に効率を重視する製法とは、まさに正反対の挑戦になりますよね。現場の混乱も相当なものだったのでは?
【多田俊介】そうですね。日本のパン作りは戦後、効率よく大量に作るアメリカ式の製法を教科書として広まりました。
いかに発酵時間を短縮してスムーズに焼き上げるかが「正義」だったんです。しかし、安倍シェフのフランス式は、10時間以上の長時間発酵で小麦本来の甘みを最大限に引き出す、いわば「時間を慈しむ製法」です。

【仲西功次】効率を最優先してきた現場にとって、前日からの仕込みを前提とした製法は、まさに180度異なる世界でした。ミキサーから出したときの生地は、これまでのダイヤの常識では考えられないほど柔らかく、ボタボタと落ちるような「生き物」でした。
最初は「本当にこれでパンになるのか?」と職人たちも驚きの連続でしたが、安倍シェフの論理的な指導を受ける中で、少しずつその本質を理解していきました。
手間を省かず、毎日違う努力を惜しまない。それがダイヤの80年の伝統であり、安倍シェフの「小麦のうまみを引き出す」という哲学とも深く響き合ったんです。

——素材への向き合い方も変わりましたか?
【仲西功次】まったく変わりました。以前は「どう効率よく捏ねるか」を考えていましたが、今は「小麦がどうなりたいか」を考える。国産小麦の「春よ恋」など、品種ごとのブレを職人の経験で見極め、吸水量を1パーセント単位で調整します。
手間は数倍かかりますが、焼き上がった瞬間の「小麦の甘み」を味わうと、もう以前のやり方には戻れませんね。

■1年かけてつかんだ、世界一からの信頼
——仲西さんは当初、このお話を聞いたとき「無理だ」と感じたと伺いました。
【仲西功次】はい、正直に申し上げて、実力差への畏怖がありました。安倍シェフは世界を相手に戦う方。対して私たちは日常のパンを支える職人。あまりにハードルが高すぎて、安倍さんの看板に泥を塗ってしまうのではないかという不安が先に立ってしまって…。
——そこからどうやって、現在のクオリティまで引き上げたのでしょうか?
【仲西功次】決め手は安倍シェフがダイヤを信じてくれたこと、それから「あの安倍シェフに認められた」という現場の職人たちの喜びでした。
最初の試作は自己採点で60点。でも、そのときに「あれ、工夫次第でできるかもしれない」という微かな自信が沸いてきましてね。そこから11カ月、手捏ねに近いミキシング技術「オートリーズ製法」を必死で習得し、安倍シェフと何度も何度もやり取りを重ねました。

【仲西功次】安倍シェフの舌は驚異的で、材料のわずかな違いを即座に見抜くことができます。その妥協のなさと向き合うことで、私たちの技術もさらに研ぎ澄まされていきました。
そして安倍シェフから「私の見立ては間違ってなかった」と言われた瞬間、ようやく自分たちの進んでいる道が間違っていないのだと、覚悟が形になったと感じました。この11カ月は、職人としての誇りを取り戻す時間でもありましたね。

■最高級バターを300円台で。新ブランドが届ける本物の味
——「D.baguette by parigot & DIA」では、最高級バターを贅沢に使った商品が300円台と伺いました。思わず採算を心配してしまいますが、あえてこの価格で挑んだのはなぜでしょうか?
【多田俊介】安倍シェフが掲げられたのは、ハレの日だけでなく「日常の贅沢」です。イズニー社の発酵バターは非常に高価ですが、それを使いながらも、なるべく価格を抑えて手に取りやすくする。
売り上げよりも、まずはお客さまに「本物の味」の喜びを届けたい。これは弊社が80年間、大阪の食卓に寄り添い続けてきた意地でもあります。
——品質への徹底したこだわりは、商品の細部にまで宿っていますね。
【仲西功次】デニッシュにツヤを出す最後のひと塗り。それだけでパンの表情は驚くほど生き生きとしてきます。安倍シェフと一緒に進めた開発は、長年の勘だけでは通用しない、理屈に裏打ちされたまさに科学そのものでした。

【仲西功次】季節や湿度によって吸水量がまったく変わる国産小麦を相手に、1年間を通じて安定した品質を提供するための微調整を続けています。この「正解のない問い」に向き合い続けることが、職人としての醍醐味なんですよ。

■売り上げよりも、人を育てる“関西一”へ
——貴社は今、「関西一のベーカリー」という目標を掲げていますが、何をもって“関西一”とするのでしょうか?
【多田俊介】実は「関西一」という言葉は、売り上げや店舗数で順位を目指すためのものではありません。これは、従業員一人ひとりが「自分が関西一を目指すなら、今何ができるか」を自発的に考えるための“旗印”なんです。

【多田俊介】製造なら最高峰の技術を、販売なら最高に心地よい接客を、バックオフィスならワクワクするデザインを——こうして全員が「関西一」という高い基準を持つことで、会社全体の熱量が劇的に変わりました。
そのプロセスで生まれる従業員の「自分にもできる」という成長こそが、私たちの真の財産なんです。

——昨今、人手不足の深刻化が叫ばれていますが、貴社は離職率が15パーセントから7パーセントへと半減したと伺いました。
【多田俊介】これには驚きました。普通、百貨店への出店は「大変そう」と異動を渋る声が多いのですが、今回は「ぜひ挑戦したい」という希望が社内から殺到しました。
一度退職した人が戻ってきてくれたり、社員のご家族がアルバイトに応募してくれたり。自分が作っているものに絶対の自信と誇りを持てることが、どれほど働く人のエネルギーになるか、経営者としてあらためて教えられましたね。

——若手にとっても、大きなキャリアパスになりますね。
【多田俊介】職人の皆さんを、作業員で終わらせたくはなくて。D.baguetteでの挑戦を通じ、業界の枠を超えて世界でも通用する人材を育てたいと考えています。
弊社で磨き上げたスキルは、一生の財産としてその人を支え続けるはずです。確かな技術と、それを存分に発揮できる環境。その両面を高い次元で整えていくことが、経営者である私の役割だと思っています。

■粉もんの街・大阪でパン文化を根づかせる
——大阪といえば「粉もん文化」が有名ですが、今後パンをどのような位置づけにしていきたいと考えていますか?
【多田俊介】実は、関西のパン消費量は全国でもトップクラスだそうで、主食が米なのに、これほどパンを愛する地域は珍しいんです。諸説ありますが、戦後GHQからの小麦支給をいち早く受け入れ、新しいものに挑戦した大阪の気質が根底にあるそうです。
私は今、大阪観光局とも連携して、お好み焼きやたこ焼きといったファストフード的な粉もん文化の中に、パンを明確に位置づけたいと考えています。大阪観光に来た人が、「大阪はパンもうまいな」と言って帰る未来を作りたいんです。
——パンを目当てに大阪を訪れる。楽しみな未来ですね。
【多田俊介】2011年3月、仙台での震災体験から、「パンには人を幸せにする力がある」と確信しました。オーブンから立ち上る香りに、街の人たちが長い行列を作る光景を今も覚えています。

【多田俊介】これからは、「D.baguette by parigot & DIA」を通じて、フランスの伝統製法と大阪の老舗の技術を融合させ、独自の新しい文化を創造したいです。従業員も、お客さまも、農家の方も、かかわる人すべてが平等に幸せになる、まさに「パン de しあわせ」を目指して、今後も一歩ずつ着実に歩みを続けていきたいですね。
オープン直後から注目を集めていた「D.baguette」は、日々行列のできる大盛況。革新と伝統、技術と想いが重なり合う「D.baguette」が、新たな文化の創造に向け、確かな歩みを刻みだした。
取材=浅野祐介、文=西脇章太(にげば企画)、撮影=大林博之
※記事内に価格表示がある場合、特に注記等がない場合は税込み表示です。商品・サービスによって軽減税率の対象となり、表示価格と異なる場合があります。

