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大干ばつ、飢饉、大地震、凶作、天然痘の大流行…今年は何が起こる?毎年恐怖に震えた奈良時代!|房野史典

大干ばつ、飢饉、大地震、凶作、天然痘の大流行…今年は何が起こる?毎年恐怖に震えた奈良時代!|房野史典

日本の歴史を面白く読ませる、房野史典さん。『13歳のきみと、戦国時代の「戦」の話をしよう。』は、いまだに増刷を続けるロングヒット作品ですが、今回の連載は「歴史を動かした”事件”」で歴史を読んでいこう!というもの。

前回、聖武天皇がライバルの長屋王と吉備内親王、彼らの子ども4人を自殺に追い込んで権力を掌握するという血生臭い話で終わりましたが…。

*   *   *

じゃ、少しおさらいを。

 

聖武・藤原四子が長屋王を陥れる。

藤原四子が政権を握る。けど……

4ヶ月の間に四兄弟全員が死亡。

 

 

 

ほぼ同タイミングで死亡って……事故? 暗殺? いいえ、

 

「天然痘」です。

 

なんと、当時流行った伝染病で、4人とも一瞬のうちに命を落としてしまったんですね。

しかし、命を奪われたのは、藤原四子だけじゃありません。

 

ペスト、という伝染病をご存知でしょうか。

14世紀のヨーロッパで、人口の3分の1が死亡したとも言われるくらい猛威を振るったのですが、このときの天然痘による全国の死亡率の平均は、推定で25~35%。といった説もあるくらいなんですね。

もしこれが本当なら、奈良時代の天然痘はペストに匹敵するほど凄惨なものだったということになります。

しかし、この時代の恐ろしさは、天然痘だけにとどまりません。

 

長屋王の変の3年後、大干ばつが起こるんです。

で、次の年に、作物ができなかったせいで、飢饉が起こります。

で、次の年に、近畿地方を中心とした大地震が起こります。

で、次の年には「凶作」といって、また作物がまったく取れない状態が訪れ、それに加えて、九州を中心に天然痘が大流行

で、その2年後に、冒頭で話した、全国的な天然痘の大流行です。

 

考えられませんよね。こんなに毎年毎年、何かしらの災厄がやってくるなんて。

なので、前回の問いの正解は、まさかの”全部”。だったんですね。

ところが、これで終わりじゃない。この時代の混乱はまだ続く(マジなんなの奈良時代)。

 

天然痘の大流行から3年後、九州で反乱が起こり(「藤原広嗣の乱」)、その途中、聖武天皇が

 

消えます。

 

突然ね、聖武が”行幸(天皇が外出すること)”を決行し、伊賀、伊勢、美濃、近江を巡って行くんです。

その理由は、「平城京でも内乱が起こることを恐れた」「伊勢神宮に祈願をしに行った」「壬申の乱の追体験」などの説があるんだけど、本当は、もうね、まったく分かりません。

ただ1つ、わかっているのは、ここから、

 

恭仁京(京都府木津川市)、紫香楽宮(滋賀県甲賀市)、難波京(大阪府大阪市)》

 

といった都を造り(あるいはすでに造っていて)、遷都を繰り返したってことだけです。

 

「え、なんで?」って、なりますよね。すぐにお答えしましょう。

 

知りません。

 

「いろいろとあった平城京を離れたかった」とは言われていますが、それにしても何でこんなに移動したのか、諸説あってよく分かってないんです。

だから、とりあえず要点だけ聞いてもらえますか。

 

・〈恭仁京→紫香楽宮→難波京〉と、キレイにこの順番で移動したわけじゃなく、あっち行ったり、こっち行ったりしてる

・紫香楽宮は離宮(王宮とは別に設けられた宮殿)だったけど、聖武が「デッカい大仏もここにつくる!」というバズーカ発言をかましたことから、離宮以上の存在感出ちゃって、ほぼガチ都扱い。

・最後の方は紫香楽宮にいたけど、山火事や地震が何度も起こり(火事はたぶん聖武のやり方を批判した人の放火)、さらに「平城京へ帰りたいよー!」との意見が多数ということで、最終的に平城京へ帰還

 

さまよい続けて約5年。莫大な費用と労力をかけたのに、最後は元の平城京。

 

貴族「何だったんだよ、この5年!!」

 

と、帰宅するたびに大声を出した貴族、何人もいたんじゃないでしょうか。

 

でもですね、聖武がウロウロしたこの5年の間。フラついた行動とは裏腹に、復興のための政策は出されてるんです(そこは当然真剣に)。

しかもそれが、”このあとの歴史に超影響を及ぼした”ものだったんですね。

 

このとき、特に問題だったのが、”天然痘による人口の激減”。プラス、それによって”荒れてすたれた農地が増えたこと”でした。

荒廃した農地は再開発したいし、もっと言うと、どんどん開墾して新たな田んぼも増やしたい。

お米が増えれば飢えが減り人が増える。そうなりゃ、税も増えるわけだから、人も国も潤うじゃないか。そのためには……これだ——!

 

朝廷「国民~! 三世一身法だと、期限付きだから、やる気が出ない人がたくさんいたみたいですね? でも今度からは、自分が開墾した土地は、ずぅーっと自分のもの! そう、国に返さなくていいの! 私財(個人の財産)になるよ! あ、でも税は納めてね!」

 

「みずから開墾した土地は”個人の所有する土地(私有地)”にしてオッケー」という、『墾田永年私財法』を発布するんですね。

で、この私有地となった土地のことを『荘園(初期荘園)』といったんです。

口に出して言いたくなる歴史用語ベスト3に入るであろう『墾田永年私財法』(おそらく1位は「大塩平八郎の乱」)。これ実は、今見たように、現代でいう復興政策の一環として出された、という説もあるんです。

 

でもね、お米を増やしても、まだ大きな問題が残ってます。それは、

 

国民の”メンタル”です。

 

大切な人が突如として奪われた悲しみ。いつまた襲ってくるかもわからない疫病や災害への不安。民衆の受けた精神的ダメージは計り知れないものがありました。

もはや彼らの心を回復させるには、何か大きな力——人間以外のとてつもなく大きな力——が必要です。そう考えた聖武が頼ったのが、

 

聖武「仏教だ!! 凶作が続き疫病が流行するのも、すべて私の政治がいけないからだ……。しかし、神仏に祈ったところ、今年の米や麦は豊かに実った! そこで! 各国に1つずつ、『国分寺』と『国分尼寺』を建てるんだ!」

 

という命令を出すんですね(「国分寺建立の詔」墾田永年私財法より前ね)。

 

で、墾田永年私財法の5ヶ月後、紫香楽宮にて、

「デッカい大仏(盧舎那仏像)をここにつくる!」

という宣言を出した(「大仏建立の詔」)。

 

その後、平城京に戻った聖武は『東大寺』というお寺を建て、そこに盧舎那仏像を設置することに。

こちらが、みなさんご存知「奈良の大仏」でございます(これには、民衆に絶大な人気を集めていた「行基」というお坊さんの力を借りているのですが、その話はまた別の機会に)。

こうして聖武は、仏教の力を前面&全面に押し出しフル活用し、

「仏教の力で国を守って安定させる!」

という方法をとったんですね(こういうのを「鎮護国家」って言います)。

 

でもね、仏教を大切にするってことは、お寺やお坊さんの力が強くなるってことなんですよ。

どんどんどんどんパワーが強くなって、政治にもすんごい影響を及ぼすようになる。

 

すると——。

 

(つづく)

配信元: 幻冬舎plus

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