もう30年近く前になるが、あるラジオ音楽番組のDJの方が稲垣吾郎さんについて語っていたことがまだ記憶に残っている。「すごいびっくりしたの、全然においがしないの」と、においの「なさ」に驚いていたのを聞いて、今でも覚えているくらいには新鮮に感じた。
その頃の私は、昼休みに校庭で遊んで帰ってきては「なんか泥のにおいがする」と母親に言われ、給食の直後に帰ってきては「あんた今日給食くさいね……」と日々驚かれることが日常だった。私の母は、日々生活する自宅のにおいを「ない」と捉えており、だからこそ私が外からいつもと異なるにおいを持ち込む時に「ある」と認識して驚く。だからこそ、このDJの方が「ない」ことに驚いたのは私にとって新鮮だった。
話を戻すと、ラジオ番組の中でDJの方はこう続けていた。「ビジュアル系のアーティストの人は、やっぱりすごくこだわりがあるのか、いつも香水のにおいがする」と。
なるほど、この人はむしろにおいが「ある」世界にいるからこそ「ない」人に驚くのか。その点からすれば、母親と私は基本的ににおいの「ない」世界を生きているから、靴についた泥だの食べたばかりの給食のにおいに驚くのだろう。
それから二十年経ってもなお私はにおいの「ない」世界を生きていると思うのだが、そんな私が、においが欲しくて一回だけやむにやまれず香水を購入したことがある。一年前、パートナーである歴史社会学者の武田俊輔(法政大学教授)が倒れ、ICUに搬送され二ヶ月の入院を余儀なくされた時のことだ。
ICUというのは当然ながら特殊な空間で、常に身体につながった複数の管と、心電図や血圧計の数字や音に囲まれている。本人が話せないし反応もないものだから、本人を取り巻く数字や音、管の数を手がかりに、本人の意識の有無を類推せざるを得ない。
この場において、においは「ない」わけではない。消毒液をはじめとする薬剤のにおいは確かにする。ただ、そうした衛生的なにおいは、においが「ない」という以上に「ない」ことを志向している、無臭以上に無臭だと私は感じた。
『近代都市空間の文化経験』(成田龍一著)を読んでいたところ、公衆衛生の観念のもとに解決が図られた一つの都市問題として「臭い」があった。悪臭は「不潔」や「病い」と結び付けられ、ときに特定の社会階層への差別へと結びつくこともある。現代社会の我々は、においが「ない」ことを清潔で安全だと考える。だからこそ、病院という空間はにおいの「なさ」を人工的に作り出す場だとも言えるだろう。
二週間ほど経ち、パートナーの意識は回復し、無事会話ができるようにもなった。それで一般病室に移ったが、それでもにおいの「なさ」は変わらない。彼の無事は本当に何よりの幸運だったが、一方で私は、今にして思えば表に出せないストレスや鬱屈を抱える日々だった。
ワンオペで育児をし、病院に毎日通い帰ってわずかの時間で毎日の研究と仕事を済ませねばならない。それ自体は介護や育児をやっている人には珍しくないことだろうし、一番辛いのは瀕死の状態を乗り越え、なお残る後遺症とたたかうパートナーであることには間違いがない。しかし、病院と家を日々単調に往復し、自分の楽しいと思えることをするにも、ワンオペ育児の中で自分の仕事をするのも罪悪感を覚える生活だって、彼に及びはつかないもののそれなりに辛かった。
家、保育園、病院、というルーティーンの中で、私はいつしかあのにおいの「なさ」に苛立つようになっていった。
毎日、保育園に子どもを送り、マスクをつけて都営地下鉄に乗り病院に行く。アルコールを手に吹きかけ病院に入り、面会札を取り、においのない待合室で番号が呼ばれるのを待つ。番号が呼ばれたらエレベーターに乗り、またアルコール消毒。においのない病室に入り、特段話題がないけれどもパートナーの顔を見て帰る。
このルーティーンに耐えかねた私は、パートナーが回復しつつある状況を確認し、了解を得た上で、一度はキャンセルした台湾出張に子どもと一緒に行こうと決意した。
パートナーのお見舞いとワンオペ育児のために家、病院、保育園の往復とルーティーンに埋め込まれる日々は、それまで東京の自宅と京都の大学を行き来し、講演や出張、出演のたびに国内外を飛び回る日々とは様変わりしていた。変な言い方だが、移動のない生活はこんなにも平坦なのかと感じた。そしてこの平坦さは、自分からある種の活発さや冒険心を奪うのではないかと思い、それが怖かった。
たとえパートナーが回復したとしても、遠くに行くモチベーションそのものが失われてしまうのが怖く、無理してでも台湾出張に行こうと思ったのだ。
前置きが長くなったが、子どもと二人きりの羽田空港第三ターミナルでまず購入したのが、ジョー マローンの香水ミニボトル五個入りだった。元々は台湾に居住している、滞在中のベビーシッターを探してくれた友人へのお礼を買おうと立ち寄ったのだが、自分にも何か欲しくなったのだ。ジョー マローンはバスオイルもハンドクリームも買ったことがあるが、シグネチャーアイテムであろう香水は十年前に一度プレゼントとしてもらったきりだ。
自分なりに香水の内容をメモなどもしていた
というか、香水はジョー マローンに限らずどのブランドであっても、ディスカバリーコレクション(そのブランドの代表的な、それから新作の香水を少量ずつ詰めたセット)やミニボトルのセット、クリスマスコフレといったものを購入して、だいたい1プッシュ、2プッシュで飽きてしまう。そういう自分がわかっていたから購入していなかったのだが、あの時ばかりはどうしても、においのない平坦な日々、楽しさを自粛した日々に、華やかな香りがほしくて買ってしまった。ワンプッシュで飽きるってわかっていたとしても、いのちの支えだった。台湾出張の後二週間後にパートナーは退院したが、それまでの間、毎日のお見舞いの後、病院を出るたび自分に吹きかけていた。
あの退屈な日々の唯一の楽しみであったミニボトルコレクションは、いま、使われずに窓辺に置いてある。
ちなみに実は、その後も懲りずに香水のディスカバリーコレクション的なものを購入している。これはフィレンツェで購入したサンタ・マリア・ノヴェッラのもの。

