子どもがまだ1歳になる前、義実家のみんなと旅行に出かけました。義両親、義姉ファミリー(小学生1人と園児2人の子ども3人)、義弟、そしてわが家の全員で旅行に行きました。
わが家と義弟は日帰り、義両親と義姉ファミリーは泊まりという日程でした。写真好きな義家族のはずなのに、記念写真に写っているのは義実家の人たちばかりで、私とわが子の姿はどこにもありません。その違和感が決定的なものに変わったとき、私は帰宅後に伝える言葉を決めたのです……。
義実家との旅行で、わが子も私も写真に一度も写らなかった話
義実家は、わりと写真を撮る人たちです。それ自体は微笑ましいことだと思っていました。ただ、撮影のたびに、義両親や義姉が無言で私にカメラを差し出してくるのです。最初は気軽に引き受けていましたが、それが1枚や2枚ではありません。記念写真を撮るたびに、毎回、当然のように私が撮影係になっていました。
しかも、よく考えてみると、わが子は私が抱っこ紐で抱っこしたりおんぶしたりしていたので、写真に1度も写っていません。撮っているのは私で、写っているのは義実家の人たちと義姉の子どもたち。わが家の親子は、1枚も記念写真に残らない状況だったのです。
そのことに気づいた瞬間、私の中で小さな違和感がはっきりとした怒りに変わっていきました。
だんだん腹が立ってきて、夫に声をかけました。
「なんでいつも私なの? うちの子なんて一枚も写ってないんだけど」
そう伝えても、夫の返事は「んー、気づいてないんじゃない?」というものでした。気づいていないなら、せめて代わってくれてもいいのに。夫が自分から撮影を代わってくれることはありませんでした。
決定的だったのは、その後の出来事です。近くにいた施設の方が「撮りましょうか」と声をかけてくれそうになった場面がありました。これなら私も子どもと一緒に写れる、と思った矢先、義実家の人たちが「子どもが飽きてきちゃったから」「ちょっと膝が痛くて」と次々に理由を口にして、その流れをやんわり止めてしまったのです。
考えすぎかもしれません。でも、私にはどうしても、義実家の人たちが私を写真に入れまいとしているように見えました。一度そう感じてしまうと、もう気持ちは戻りませんでした。それならもういい、と思い、自分のスマートフォンを取り出して、子どもと私のツーショットをセルフで撮りました。誰も撮ってくれないなら、自分で残すしかないと思ったのです。
旅行中、何度か夫に声をかけましたが、状況は変わりませんでした。むしろ、あえて私と子どもを写真に入れないようにしているように感じられて、それが一番つらかったです。夫はそのことに気づいていたはずなのに、その場で謝ることも、家に帰ってから一言かけてくれることもありませんでした。
帰宅後、私は夫と義両親にこう伝えました。
「今回の旅行で、私も子どもも、みんなとの写真には一度も残っていませんでした。正直、私たちは家族の思い出に入らなくてもいい存在なのかなと感じました。そんな気持ちになる旅行なら、今後は参加したくありません」
義両親は驚いた様子で、「そんなつもりはなかった」「気づかなかった」と言いました。夫もそのときになって、ようやく私がどれだけ傷ついていたのかわかったようでした。
けれど、その言葉をすぐには受け止められませんでした。勢いで言ったわけではなく、旅行中ずっと考えていた、私なりの結論だったからです。
今振り返っても、あのとき自分でツーショットを撮っておいてよかったと思います。
あの1枚がなければ、わが子が0歳だったころの旅行の記録は、本当に何も残らなかったかもしれません。
ただ、本当は誰かに気づいてほしかったです。私も子どもも、家族の思い出の中にいていい存在だったはずだからです。
義実家との関係をこれからどうしていくかは、今も考えています。けれど少なくとも、もう自分の気持ちをなかったことにはしない。そう決めた出来事でした。
◇ ◇ ◇
「気づかなかった」のひとことで、かえって深く傷つくことがあるのかもしれません。つらかったのは、写真に写れなかったこと以上に、一番近くにいるパートナーがその状況に気づいてくれなかったことではないでしょうか。違和感を口にするのは勇気がいりますが、自分の切実な感情をなかったことにしない。それは、自分と子どもをひとりの人間として大切にするための、最初の一歩なのかもしれません。
著者:田中みみ/30代女性/年長男児を育てるママ。会社員。結婚10年目
イラスト:きりぷち
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2026年5月)

