■日本アカデミー賞受賞式で涙ながらに語ったこと
「いやぁ…泣くねぇ、これ。これは、泣くなぁ……」
2025年公開の映画「爆弾」に出演し、第49回日本アカデミー賞・最優秀助演男優賞に輝いた佐藤二朗は、受賞スピーチでそう切り出した。実は近年、「嫉妬」などを理由に日本映画をあまり観ていなかった彼だが、前年の同授賞式への出席を機に考えが変わり、以来、毎日のように日本映画を観ては「なんて戦う価値のある場所なんだ」と心から思うようになったと、涙ながらに語った。
そして、「日本映画を愛して日本映画を観てくれるすべてのみんな……愛してるぜ! いい夜だ! ありがとう!」と拳を天に突き上げた。
現在も、自身が脚本を書き主演した映画「名無し」が公開中であり、さらに主演ドラマ「夫婦別姓刑事」(フジテレビ系)も放送中と、いまや日本映画・ドラマ界に欠かせない存在となった佐藤。しかし、20代の頃は絶対に戻りたくない「暗黒時代」だと振り返っている。
■入社式を飛び出し辞職、養成所で起こった“事件”
小学4年生の学芸会で芝居の快感に目覚めた彼は、「役者になりたい」と思うようになった。いや、そんなレベルではない。「俺は役者になるために生まれてきた」と“運命”を感じたのだ。一方で「役者だけでは食えるはずがない」という冷静な自分もいた。
その葛藤の末、大学卒業後はリクルートに就職した。しかし、入社式の席で「これで俳優を諦めることになるのか」という思いが込み上げ、いても立ってもいられず、会場を飛び出し辞表を提出した。
塾講師のアルバイトで資金を貯め、文学座の養成所に入るも、入団には至らず、渡辺えり主宰「劇団3○○」の養成所「無人塾」に入所した。ここで“事件”が起こる。卒業公演で主役に抜擢(ばってき)されたが、本番直前に“飛んで”しまったのだ。集合時間になっても電車の乗り降りを繰り返し、ついにはカプセルホテルに泊まり行方をくらませたのだ。
■佐藤の芝居を“見つけて”くれた人物
渡辺えりは劇団員たちと必死になって探し回り、なんとか代役を立てて公演を行う事態になった。それでも彼女は「一生この話で笑えるね」と笑い話にしてくれたという(「A-Studio+」2024年10月18日TBS系)。大きな挫折を経て、広告代理店に再就職。役者の夢は諦め、営業に邁進したが、じわじわと役者への想いが再燃していった。
何しろ、“運命”なのだ。1996年、養成所時代の仲間5人と劇団「ちからわざ」を旗揚げする。翌年、劇団の宣伝目的で参加した「ラフカット'97―」(若手俳優をオーディションで選んで、力試しの場を提供する企画)で「自転車キンクリート」の演出家・鈴木裕美と運命的な出会いを果たし、28歳の時に同劇団に入団した。
「見つけてさえもらえたら、俺は絶対いける」
そんな根拠のない自信とギラギラした想いを抱えていた佐藤の芝居を本当に“見つけて”くれたのが、堤幸彦だった。自転車キンクリートの舞台を観た堤は「誰だ、こいつは?」と、自身が演出するドラマ「ブラック・ジャック2―」(2000年TBS系)に佐藤を起用した。セリフは5行ほど、1シーンのみの「医者A」の役。
「いま現代の俳優で、ここまで『A』、『B』を経験している役者って多分俺以上にはいないんじゃないか」(「チカラウタ」2017年1月15日日本テレビ系)と言うように名前のない小さな役から全力で存在感を放ち、関係者に“見つかり”、やがて視聴者にも“見つかった”。
■風呂なしアパートで過ごした日々
佐藤が脚本を書いた映画「名無し」は、誰もが持つ名前すらなかった過酷な境遇の男が主人公。“絶望”に瀕した登場人物が空を見上げるシーンが印象的だ。それは、彼自身の記憶とも重なる。佐藤が著したコラム集「心のおもらし」には、息子と銭湯に行った時のエピソードが綴られている。「暗黒時代」を回想して息子に言う。
「毎日このお風呂に入って、毎日この空を見上げてたんだよ」
その頃、あの無人塾で一緒だった現在の妻と、風呂なしアパートで暮らしていた。
「その時、お父さんもお母さんも若くてさ、いろんなことがうまくいかなくて、毎日この空を見上げながら、なにくそ! なにくそ!って思ってたんだよ」
その時の空の色は希望もない真っ黒だったかもしれない。けれどいま、「佐藤二朗は役者になるために生まれてきた」という確信が、本人だけの思い込みではないことを、誰もが知っている。
文=てれびのスキマ
1978年生まれ。テレビっ子。ライター。雑誌やWEBでテレビに関する連載多数。著書に「1989年のテレビっ子」、「タモリ学」など。近著に「王者の挑戦 『少年ジャンプ+』の10年戦記」
※『月刊ザテレビジョン』2026年7月号

