
5月26日に放送された「プロ野球 レジェン堂」(毎週火曜夜10:00-10:55、BSフジ)。今回のゲストは“慶応のプリンス”として注目を集め、横浜大洋ホエールズで8年連続ダイヤモンドグラブ賞を受賞したレジェンド・山下大輔だ。MCの徳光和夫、遠藤玲子とともに、野球人生の原点となった少年時代や慶応大学での活躍、そして守備の名手として名を馳せた現役時代の秘話を語った。
■ゴルフボールの壁当てが生んだ“守備職人”の原点
静岡県静岡市で生まれ育った山下は、ガソリンスタンドを経営する家庭で育った。当時としては裕福な環境で、野球との出会いは意外にも“ゴルフボール”を使った遊び。実家のガソリンスタンドのコンクリート壁に向かってゴルフボールを投げ、跳ね返ってきた球を捕る遊びに熱中していたという。
野球ボールよりも速く跳ね返るゴルフボールを相手にしていた経験が後の華麗な守備力につながったようで、山下自身も「僕の原点かもしれませんね」と振り返った。
地元静岡市の清水東高校へ進学した山下は1年生ながらレギュラー入りを果たし、県大会決勝へ進出。しかし浜松商業に0-1で敗れ、あと一歩のところで甲子園出場を逃してしまう。
当時の学校では練習中の水分補給が許されないのが一般的であったため、グラウンド外の畑に水を入れたビンを隠し、ファウルボールを取りに行くふりをして水を飲んでいたというエピソードも披露。昭和の時代を感じさせる思い出話に、徳光と遠藤も思わず笑顔を見せた。
■早慶戦の大歓声に衝撃…ドラフト1位で大洋へ
高校卒業後は、同じ清水東高校出身の先輩の背中を追って一般入試で慶応大学へ進学。「僕は慶応で野球をやりたいと思ったから他の大学を受けてないんですよ」と語る山下の言葉からは、憧れの先輩への強い敬意がうかがえた。
慶応大学野球部では1年春から試合に出場。早慶戦でサヨナラヒットを放つなどの活躍を見せ、華々しい大学野球生活を送る。初めて早慶戦に出場した際には、地鳴りのようにスタンドから響く大観衆の声援に圧倒されたと振り返った山下。
同じく慶応大出身で山下の後輩にあたる遠藤も「土日で1勝1敗になって3戦目に持ち越されると、月曜日学校が休みになる」と証言するなど、早慶戦は大学全体を巻き込む一大イベントだったことが伝わってきた。一方の徳光は長嶋茂雄に憧れて立教大学へ進学したが、やはり早慶戦を観戦した際は「こんなにすごいのか」と驚いたことを明かす。
山下は慶応大在学中、リーグ3連覇や首位打者獲得など輝かしい成績を残し、その実力はプロのスカウト陣からも高く評価された山下。1973年のドラフト会議では大洋ホエールズから1位指名を受け、鳴り物入りでプロ入りを果たすこととなる。
■8年連続ダイヤモンドグラブ賞の偉業…守備への飽くなき探究心
大洋入団時には、父親が所有していたベンツで合宿所入りしたという驚きの逸話も紹介された。山下は“布団を運ぶためにどうしても車が必要だった”と理由を述べたが、「そのことを未だに言う人はいます」と苦笑いをこぼす。
また当時オープン戦で対戦した相手チームの捕手・野村克也からは、さっそく“ささやき戦術”の洗礼を受けたという。「趣味で野球やってる大ちゃんにはこのボールは打てんわな」と言われたエピソードに、徳光も「そんなこと言ってたんですか」と驚愕。山下は「“セ・リーグの球団でよかったな”と思いました」と笑いながら当時を振り返る。
プロ入り当初は苦戦したものの、3年目でレギュラーに定着すると初のダイヤモンドグラブ賞を受賞。その後は8年連続受賞という偉業も達成した。当時の大洋には守備の名手が揃っていたこともあり、「豪華な内野陣に恵まれた」と回顧。さらに守備の秘訣について、「打球との間合いが大切ですね」と“へその前”で捕球することがポイントだと明かすひと幕も。
さらにスタジオには現役時代に使用していたグラブも登場。薄く柔らかなグラブで、素手に近い感覚を大切にしていたという。そのあまりの薄さに広岡達朗からグラブを放り投げられたというエピソードまで飛び出し、スタジオを大いに盛り上げるのだった。
今回の放送では、山下がなぜ“守備職人”と呼ばれ続けたのか、その理由が随所に詰まっていた。華やかな記録だけでなく、ひたむきに技術を追求し続けた姿勢こそが、山下が今なお多くの野球ファンから愛される理由なのだろう。

