小野寺史宜さんの最新刊『片見里足立アフェクション』には、ファミレスで、夜景の見えるバーで、居酒屋で、結婚式場で……と、とにかく「乾杯」シーンがたくさん出てきます。乾杯の場面で展開する、軽快、軽妙かつ深遠(?)な登場人物たちのやり取りを、少しだけご紹介。
* * *
大きな窓から夜景を見ながら、赤ワインにカナッペとドライフルーツ。「アプリに登録してよかった」思わず言った洋だったが……

充彦が選んでくれた赤ワインを飲む。グラス一杯で三千円ぐらいするっぽい。でもこれが、高いだけあって、おいしいのだ。
わたしの場合、安ければ安いでおいしいと感じる。安いのにおいしい、と感じることができる。だから無理に高いものを飲む必要もないのだが、飲んだら飲んだでやはりおいしいと感じる。まあ~、おいしい。
ここは日本橋のホテルのバー。三十階超。かなりの高層階にある。当然、夜景も見える、楽しめる。もう、絵に描いたような夜景デート。初めてだ、こんなの。
実際に、わたしはそう言ってしまう。
「初めてですよ、こんなの」
「あ、そうですか」
「はい。片見里にこんな高い建物はないし。山はあるんですけど、低いんですよ。登って楽しめる感じでもないし。だから、高いとこにはちょっと惹かれちゃうんですよね」
「でも初めて、なんですか?」
「はい。東京に出てもう長いですけど、こんなバーは初めてです。わたしが行くのは地下のお店とかが多くて。何故なんでしょう。低いほうへ低いほうへ行っちゃうんですよね。いろんな意味で」
「いろんな意味で」と充彦が笑う。
「東京タワーと東京スカイツリーは上ったんですけどね。タワーは東京に出てきてすぐ上って。スカイツリーはまだできてなかったんですけど、できたらすぐ上りました。もうまさにお上りさんの感じで」
「スカイツリーは、いつできたんでしたっけ」
「わたしが大学四年のときかな。学生でいるうちにってことで、就活を終えてすぐに上りました。かなり混んでましたけどね」
「あぁ。開業当初はそうだったかもしれないですね。ニュースでもよくやってたような気がします」
「上ったことあります?」
「ぼくはないです」
「ないんですか」
「はい」
「こっちの人は、そうなのかな」
「ぼくはこっちの人じゃないですけどね」
充彦は本庄 の出身。そう聞いてる。群馬に近い、埼玉の本庄。でも埼玉ならもうこっちの人。わたしの感覚ではそうだ。
「今度上りましょうか」
「いいですね」
「上りたいですよ、洋さんと」
「おぉ。うれしいです」と笑う。
「そう言ってもらえるとぼくもうれしいです」と充彦も笑う。
デートは今日で七度め。ゴールデンウィークに二度会い、その次は、金、土、その次は、土、日、と会っての、今日金曜だ。こんなに贅沢なデートは初。ここまで贅沢だと、罪悪感さえ覚える。
充彦が選んでくれた赤ワインを飲む。グラス一杯で三千円ぐらいするっぽい。でもこれが、高いだけあって、おいしいのだ。
わたしの場合、安ければ安いでおいしいと感じる。安いのにおいしい、と感じることができる。だから無理に高いものを飲む必要もないのだが、飲んだら飲んだでやはりおいしいと感じる。まあ~、おいしい。
で、壁一面と言ってもいい大きな窓から見えるこの夜景。まあ~、きれい。つまみのカナッペやドライフルーツもおいしい。ドライフルーツなんて、果物を乾かしてカピカピにしただけのはずなのに、それが、まあ~、おいしい。
「あぁ。アプリに登録してよかったです」と自ら言う。「一歩を踏みだして、本当によかったです」
「一歩」
「はい。わたし、これまではそんなに興味がなかったんですよ。むしろ敬遠してたぐらいで。でも、思いきって、やってみようと」
「どうして思いきったんですか?」
隠すことでもないと思い、わたしは千月のことを話した。千月が会社の後輩であることから十一月に宮里千月になることまで。省くのも何なので、『ダメデカ』のことまで明かした。
「じゃあ、千月さんに感謝ですね」と充彦は言った。「千月さんがアプリでゴールにたどり着いてくれたことに」
「ほんと、そうです」
「あとは、春行にも感謝です。千月さんとダンナさんを同時に『ダメデカ』に引き寄せてくれたことに」
「確かにそうですね。そういうのって、結局、つながってるんですもんね。風が吹かなきゃ桶屋は儲からないですもんね」
「それは、微妙にちがうような」
「えーと、そうか。あれは、どこか無関係っぽいとこで風が吹いたのに桶屋が儲かることもある、みたいなことですもんね」
「だとすれば、ちがくもないんですかね」
「どう、なんでしょう。わたしは頭がよくないので、わからないです」
「ぼくもわからないです」
「本橋さんは頭がいいじゃないですか」
「言うほどよくないです」
「じゃあ、弟に訊いておきます」
「そうしてください」
「って、訊かないですけど。そんなことを訊いたらそれこそバカかと思われるんで」
「洋さんはバカじゃないですよ」
「バカですよ。自分で思いますもん。ほんと、バカだなぁって。アプリに頼ったのも、結局はそれが原因ですし」
「どういうことですか?」
さすがにこれは隠すべきことかなぁ、と思ったが、わたしは元カレの二人、圭珠と大吾のことを話した。そこは、まあ、サラッと。二人がそれぞれミュージシャンと役者だったこと、どちらもうまくいってはいなかったからわたしが少しはおごったこと、なんかを。
「そうですか。洋さんも苦労したんですね」
「苦労ってほどでは。単にわたしがバカだっただけです。人を見る目がなかったというか」
「あ、電話」とそこで充彦が言う。
でも、言うだけ。パンツのポケットから取りだしたスマホの画面を見るも、出ようとはしない。
だからわたしが言う。
「どうぞ。出てください」
「いいですか? すいません」
バーといっても、そこは広い空間。天井は高いし、席間にも余裕がある。わたしたちがいるのはカウンター席ではなくゆったりしたテーブル席なので、充彦はその場で電話に出る。
「もしもし」「うん」「今お店だから」「ちょっとなら」「え?」「うわぁ」「そうなのか」「手術」「きついな」「すぐ?」「いくらかかるの?」「そこまでか」「あぁ」「いくらあればいい?」「いや、いいよ」「ほんと、遠慮しなくていい」「だからいいって。お母さんのことはおれも知ってるし」
そんな声が断片的に聞こえてくる。
そして三分ほどで通話は終わる。充彦はパンツのポケットにスマホを戻して、言う。
「すいませんでした」
「いえ」
「このタイミングでかかってくるとは」
「それが電話ですよ」

