『星月夜』(ゴッホ)の概要
Van Gogh - Starry Night - Google Art Project, Public domain, via Wikimedia Commons.
『星月夜』はゴッホが1889年6月に描いた作品です。1941年から現在に至るまでニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久コレクションとして所蔵されています。
ゴッホの作品のなかでも最高傑作といわれることも多く、世界中にたくさんのファンを持つ作品です。
星月夜を描いた当時のゴッホの状況
『包帯をしてパイプをくわえた自画像』1889年1月、アルル。油彩、キャンバス、51 × 45 cm。個人コレクション F 529, JH 1658。退院後に担当医らのために描かれた2枚の自画像のうち1枚[218]。, Public domain, via Wikimedia Commons.
『星月夜』は画面いっぱいに"うねり"が見られ、悲しい雰囲気に満ち溢れています。当時のゴッホはどんな状況に置かれていたのでしょうか。1889年6月に至るまでの状況を振り返りながら紹介しましょう。
定職に就けず、絵も売れずに悩んでいた20~30代
ゴッホは幼いころからかんしゃくがあり、親からも"扱いにくい子"とされていました。周りの人との共同生活が難しいなか、伯父が務める画商に就職するも解雇されます。また聖職者に憧れを持つも、自己流の教えを続けた結果、仮免許を打ち消されました。
もともと生きづらさを感じるなかで、画業をはじめます。しかし絵が売れず、弟のテオドルスに仕送りしてもらいながら、なんとか生活を続けていました。その少ないお金を画材に当てていたので、肉体も疲弊。20代後半のころには歯が欠けるほど衰弱していきました。
ゴーギャンとの「耳切事件」が発生
そんななか、1888年、35歳で「画家の協同組合をつくる」と計画を立てます。この計画は倒れてしまいますが、当時困窮していた画家・ゴーギャンとの共同生活を持ちかけました。
南仏のアルルに共同生活の家(通称・黄色い家)を構えたゴッホはゴーギャンとの共同生活を楽しみにしていました。ゴーギャンが来る前に自信作を揃えるため、過労で憔悴しながら『ひまわり』をはじめとした多くの作品を残しています。
実はこのときにゴッホは、『ローヌ川の星月夜』という『星月夜』によく似た作品を描きました。
depicts the Rhône River at night, Public domain, via Wikimedia Commons.
当時のゴッホは「夜の表現」に興味がありました。弟のテオに「糸杉のある星空の夜を描いた絵が欲しい」と手紙を送っています。また妹への手紙で「いま描きたいのは星空だよ。昼と比べて夜は色彩豊かだ」と書きました。
この作品は『星月夜』と比べて精神的に安定していた時期の作品です。見比べてみると、さまざまな発見があります。『ローヌ川の星月夜』は、『星月夜』よりも細かい絵具の粒があいまいに揺らめく光を表現しているようですね。
1888年10月にゴーギャンが到着し、共同生活が始まります。しかし2人はすぐに仲違いしてしまい、12月にゴーギャンは出ていってしまいました。
するとかんしゃくをおこしたゴッホは「自分の左耳を切り落として娼婦に渡す」という、いわゆる"耳切事件"が発生。すぐに精神病院に入院となります。1889年1月に退院しますが、ゴッホは酒に酔い、興奮した状況で「毒を盛られている」と虚言をわめくようになります。
2月に再入院となり、5月には南仏・サン=レミの修道院療養所に入所しました。そんな最悪な精神状態のなか、6月に療養所の一室で描かれたのが『星月夜』です。
ゴッホの生涯については、以下の記事でも詳しく紹介していますので、参考にしてみてください。
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