
40代でお笑い芸人を志し大ブレイクしたエド・はるみさん。その後、50代で慶應義塾大学大学院に入学し、現在は筑波大学大学院博士後期課程に在学中です。さらにトライアスロン完走や二科展入選など、年齢にとらわれず挑戦を続ける姿が注目を集めています。
そんなエドさんが、エッセイ集『今日がいちばん若いから 年齢を吹き飛ばす生き方』を発表しました。本書には、彼女が困難や不安に直面するたびに、自らを奮い立たせてきた心の支えとなる言葉や考え方が綴られています。
今日はそんなエッセイの中から、吉本興業の養成所入りを決めた頃のエピソードをご紹介します。エド・はるみさんは、一体どんな思いを抱いて40代からお笑いの世界で飛び込んだのでしょうか。
「覚悟」が決まると不安が消える
芝居の世界から吉本興業の養成所に入るまでは、役者としての仕事のほか、自分の一人芝居の舞台をやるために、私は本当に多くのアルバイトを経験しました。
当時、時給5000円〜という高時給だったコンピューターの講師になるまでは、昼間は時給1000円ほどの飲食店でのウェイトレス、夜は時給が1500円に上がる配膳係(※配膳係=ホテルのレストランなどで働くウェイター、ウェイトレス)で朝から晩まで働きました。その仕事は一度に長時間働くことができたので、日によっては一日十時間バイトを入れられます。すると一日一万円以上になったので、働ける日は精一杯バイトを入れていました。それくらい必死で働かなければ、自分の生活費のほかに、舞台を作る費用など捻出できるはずがなかったからです。
自主的に定期的に行っていた〈一人芝居〉は、自分で台本を書き、出演、演出、チケットやチラシ作りの制作から、営業も行います。また、劇場を借りる費用から、照明・音響さんへの日当もすべて自分で工面して支払わなければなりません。
配膳で十時間以上働いていた時には、休憩時間のわずかな間に一瞬で泥のように眠り、起きてまた働くという生活でした。生活はいつもカツカツで余裕など一切ありません。が、それでも「女優になる」という夢だけがひとえに私を支えていたので、それを苦に思ったことは一度もありませんでした。
けれど、この吉本の養成所に入るという最後の挑戦を境に、私の人生は大きく変わっていきます。
四十歳で養成所に入学すると決まった時、もしもこれで世の中に出られなければ、本当にすべてを諦めよう。これまでの「なりたかった自分」を捨て、当たり前の四十代の女性として生きて行こうと思いました。
それほどの覚悟を持っての最後の挑戦でしたので、これからのすべての時間とエネルギーをこの養成所一本に充てることにしました。そのため、これまでのコンピューターやマナーの講師としての高時給の仕事はすべて辞め、お付き合いしていた彼氏とも別れました。役者としての二十年というキャリアも忘れ、「すべてゼロからの気持ち」で、吉本興業の養成所に入学したのです。
人は誰でも、新しい扉を開ける時には、不安でいっぱいです。
しかし少しの勇気と思い切りでいざその扉を開けてみると、新しい世界が開け、それまでの不安は一気に吹き飛んでいきました。
あれほど恐怖でいっぱいだった私が、一日目から授業では必ず一番前に座り、先生の話や他の人へのダメ出しまですべて必死にノートに書きとりました。人生最後の賭けなのです。命を賭けているのです。これでダメならすべてを捨てる覚悟で、この一年を過ごすと決めて来ているのです。
一年でそのノートは五、六冊になりました。
それは今でも、二度と手に入れることができない宝物となっています。

プロフィール
エド・はるみ……17歳で映画デビュー。明治大学文学部卒業後、劇団「円」の養成所を経て、約20年間女優として活動を続けるが、2005年に笑いの道に転じ、吉本興業の養成所の門を叩く。2008年に持ちネタの「グー!」で、数々の賞を受賞のほか、流行語大賞を受賞。長年の夢であった24時間マラソンランナーにも選ばれ、当時女性最長だった113kmを完走。2016年4月に慶應義塾大学大学院の修士課程に入学し2018年修了。2023年4月には筑波大学大学院の博士課程に合格して入学し在学中。現在、難関の博士号取得を目指し研究を続けている。
※本記事はエド・はるみ著の書籍『今日がいちばん若いから 年齢を吹き飛ばす生き方』から一部抜粋・編集しました。
著=エド・はるみ/『今日がいちばん若いから 年齢を吹き飛ばす生き方』

