母に送ったあざの写真がきっかけで、急性リンパ性白血病と診断された蝦名さん。医師からは「末期で予後不良」という宣告を受け、一日中涙が止まらない日もありました。しかし「大好きな人たちのために生きる」と決意し、嘔吐や激痛に耐えながら治療を続けます。無菌室での厳しい入院生活の中、家族やドナーとなった兄、多くの支援者の温かい思いを支えに前向きに闘い抜いた蝦名さんの、希望に満ちた闘病記をご紹介します。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年11月取材。
体験者プロフィール:
蝦名 聖也
東京都葛飾区在住、1987年生まれ。2017年に急性リンパ性白血病と診断。抗がん剤治療や放射線治療、2度の移植手術など4年間の闘病生活を経て寛解。現在は、体にやさしいカフェ、CAFE&DINING【SOY LOVE U】を地元の京成立石駅前にて2021年10月1日にオープン。
記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
厳しい現実に「今日だけは泣いてもいい?」
編集部
始めに、病気が判明した経緯について教えてください。
蝦名さん
白血病だとわかったのは、体にできたあざを不思議に思い、母に写真を送ったことがきっかけです。母があまりにも心配していたので、僕は「心配しすぎだろう」とたかをくくっていたのですが、検査をすることで母を安心させることも親孝行だと思って翌日に病院へ行きました。すると、そこで急性リンパ性白血病だと判明しました。
編集部
どのように医師から告げられたのですか?
蝦名さん
先生から告げられた言葉は「白血病の末期かつ遺伝子異常もあり、多数ある白血病の中でも予後不良と言われる最も深刻な状態」でした。治療については、抗がん剤治療と放射線治療を経て、移植手術をする長期間かつ過酷な治療であると伝えられました。
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
蝦名さん
大学病院にて、僕と家族全員が個室に呼び出され、さまざまな苦しい現実を突きつけられました。その日ばかりは母に「今日だけは泣いてもいい?」と言って一日中泣きましたね。本当に涙ってこんなに流れるんだなと不思議に思うほど泣き尽くしました。
編集部
そんな宣告を受けた後なら、心境お察しします。
蝦名さん
でも次の日には、「たとえ自分がどんな姿になっても、どのような影響があったとしても、自分のための人生を生きるのではなく、自分の大好きな人たちのために生きたい」と誓い、前だけを見て進み続けようと決断しました。
つらい入院生活でも自分に言い聞かせた言霊(ことだま)
編集部
入院中にはどのような症状があったのですか?
蝦名さん
入院中は毎日のように発生する嘔吐、頭痛、胸焼け、腹痛、下痢、口腔内出血、高熱、血尿、腰から下の麻痺、震え、痺れ、睾丸の痛み、関節の激痛、体力低下など、自分が想像できるすべての痛みが同時に起こりました。まさに激痛のオンパレードでしたね。発症後はずっと入院生活が続きました。
編集部
入院中はどのような生活だったのですか?
蝦名さん
あまりのつらさに精神的にダメになって、自らを傷つけてしまう人もいるようなので、自殺防止で窓が開かない無菌室というところでの治療生活でした。体力低下はあったのですが、入院中から毎日必ず歩き続けていたので、日常生活はどうにかおこなえる体力は維持できました。
編集部
治療中の心の支えはなんでしたか?
蝦名さん
ドナーとなってくれた兄と従姉妹、家族や親戚はもちろんのこと、病院でお世話になった皆さん、献血をしてくださった皆さん、応援してくださった皆さんの温かい思いが僕の支えでした。
編集部
気持ちも前向きになっていったとお伺いしました。
蝦名さん
はい。最終的には「未来は明るい!」と自分に言い聞かすように、声に出して言うようにしていました。「言霊(ことだま)って本当にあるんじゃないかなぁ」なんて思っています。余命3ヶ月と宣告された僕が今こうして生きているのですから。
≪↓ 後編へ続く ↓≫
※この記事はメディカルドックにて<【闘病】「余命3ヶ月の命」から4年で寛解した、私の急性リンパ性白血病>と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。
なお、メディカルドックでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。

