浮気な東京が愛し続ける
時代を超えた店

ティオ・ダンジョウでは、本日のタパスがショーケースにずらりと並ぶ
2007年、アジア初の『ミシュランガイド』東京版が刊行された。“約16万軒のレストランがひしめき合う東京は、星の数が最も多い世界一の美食都市”。この宣言によって私たちは、世界から見れば東京って特殊なんだ、と気が付いた。
昼はパスタ、宴会で中華、記念日にはフランス料理。最新の食も集中する大都市の人々は、惚れっぽく移ろいやすい。10年続く店は1割ともいわれる中、しかし時代を超えて愛され続ける店も、確かに存在する。

上/檀上桂太シェフは日本にスペインバル文化を定着させた立役者であり、店は卒業生を多く輩出している 下/作り続けて31年、マドリードで覚えたマッシュルームの鉄板焼き800円。肉厚でジューシーなマッシュルームは、リクエストによる特注品
恵比寿駅東口にスペイン料理&バル「ティオ・ダンジョウ」が開店したのは、恵比寿ガーデンプレイス竣工の翌年、1995年のこと。時はイタリアン全盛期。だが檀上桂太シェフは「ふらっと飲めるバルの気軽さは、日本の大衆酒場に似ている」と親和性の高さを予見し、05年には同ビル1階にバルを独立させた。
西口の「恵比寿18番」(閉店)は、バル文化を盛り上げようぜ、と仕掛けた仲間だ。すると本当に大波がきた。「エル・ブジ」旋風やスペイン産生ハム輸入再解禁も追い風になって、カウンターに立ちシェリーを飲み、ピンチョスをつまむ光景が東京のあちこちに出現。台風の目となった恵比寿は「立ち飲みの聖地」と呼ばれ、ほろ酔いの巡礼者であふれ返った。これはラッキー? いや、檀上さんはスペインを知らない輸入業者や同業者にも情報をシェアし、スペイン畑の土壌を肥やしてきたのだ。
「マッシュルームの鉄板焼き」に刺す爪楊枝さえ、当初はみずから現地で買い付けた。本来は2本の爪楊枝を逆ハの字に刺すところ、慣れない日本人にも食べやすいようクロスさせたのは檀上さんのオリジナルである。
その頃、東京には次々と商業施設が開業し、そのたびに熱烈な出店勧誘がきた。すべて、迷わず断った。「僕がやりたいのは、小さくても自分の店で最後まで厨房に立つこと」
両親のため調布へ移転したのは15年。作り続け、磨き続けた料理は今、突き抜けた境地に達している。
Tio Danjo
ティオ・ダンジョウ
TEL.042-444-5903
住所/東京都調布市布田2-37-7

上/現在は宮下清志シェフと長男の素和さん(右)、次男の実大さん(左)、マダムの紀子さんによる家族経営 下/牛ほほ肉の赤ワイン煮込み3,400円は、手入れのいい牛肉と、濃厚だが軽やかな赤ワインソースの一体感を味わいたい
80年代の絶対王者・フランス料理は、バブルの終焉とともにイタリア勢に攻め込まれた。フレンチは高い、重い、堅苦しい。それが定説だった00年に開店した「ラミティエ」は、ランチ1,000円、ディナー2,000円(当時)の大砲を撃つ。
オーナーシェフの宮下清志さんは、85年からいち早く街角フレンチを展開した「パザパ」系列の出身だが、フランスでも修業した料理人だ。
「パリのビストロで半割りのグレープフルーツがデザートに出てきたとき、それだけなんだけど、夏に合うなあと思ったんです。そういう飾り気のない雰囲気も含めて、いいなと」
東京の美食家(という言葉も浸透した時代)が興奮したのは、価格だけじゃない。現地を知る人にこそ「あーこれこれ」とまぶたを閉じさせる料理の、明快な味とボリューム、気取らない日常の空気感。
「ラミティエ」以降、フランス料理店のカジュアル化は加速して「5,000円フレンチ」「フレンチ居酒屋」などが登場。ガストロノミー+ビストロの「ビストロノミー」が日本で注目されたのは10年頃である。
高田馬場という庶民的な街で26年。人は「変わらない」というけれど、材料、分量、肉の挽き方だって変えている。日々の追究を止めない料理人の仕事が、「あーこれこれ」に着地させているのだ。
L’AMITIE
ラミティエ
TEL.03-5272-5010
住所/東京都新宿区高田馬場2-9-12 1F
※予約は1カ月前の13:30より受付。現在予約困難

上/高谷謙一さんはイベントにも精力的で、音楽界隈など日本酒圏外の人々と燗酒をマッチングさせている 下/レバーのブリュレと塩クッキー800円と、60度まで温めた「剣菱」の深みがなじむ
さて、東京の人がワインの虜になった90年代、焼酎やハイボールが楽?と叫んだ00年代、しっとりと低迷していたのが日本酒である。03年は焼酎の出荷量が日本酒を上回り、酒蔵の閉業が相次いだ。
出口の見えない時代、それでも日本酒は水面下で、着実に質を高めていた。次世代の造り手が、制度や酒質を改革。街場の店主たちも立ち上がり、14年には「夜明け」を宣言するイベントが大盛況となる。
「にほん酒や」が吉祥寺に現れたのは、夜明け前の09年だ。店主の高谷謙一さんはかつて日本酒嫌いだったが、久々に飲んだとき、記憶とは違うおいしさに衝撃を受けた。ということで、彼の居酒屋は、その感動をまだ知らぬ人に伝える場である。
偶然にも吉祥寺には、1年先輩の「カイ燗」(閉店)があった。ここで「温かい酒」の第二次衝撃波を浴びた彼は、生酒や熟成酒の燗酒という二重三重のニッチに振り切る。
「誰も知らないお酒なので、おいしいですよと言っても頼んでくれません。だから“料理に合うお酒”として燗酒を組み合わせる作戦で」
考案したのが「レバーのブリュレと塩クッキー」。居酒屋らしからぬ、日本酒らしからぬ。驚きの振り幅が大きいほど、人の記憶に刻まれる。
吉祥寺には燗酒チルドレンの店が続々と登場し、誰が呼んだか日本酒燗酒村。東京には日本酒バルが増殖し、酸のある酒、夏酒や秋酒、炭酸割りなど自由な時代を迎えた。だが「にほん酒や」は相変わらず、定番は不動の5蔵、燗酒推し。
にほん酒や
にほんしゅや
TEL.0422-20-1722
住所/東京都武蔵野市吉祥寺本町2-7-13 レディーバードビル1F

ティオ・ダンジョウの内観
そういえば、檀上さんもまたこんなことを語っていた。
「定番は、時代が変わっても古びることがない」
1年前の流行が思い出せない東京で、最初の「好き」をなん十年と続ける店主が言うのなら、それは正解だ。
文・井川直子
食と酒を巡る人と時代をテーマに、ノンフィクションやエッセイを執筆。近著に『小さな店をつくりたい 好きな仕事で生きる道』(家の光協会)ほか
この記事の詳細データや読者のコメントはこちら

