●両親の「終の住処」を手放すことに
当時、佐々木さんは週最大14コマの授業を担当し、教室長代行をつとめるなど、ベテラン講師として信頼を得ていた。契約解除を告げられたのは51歳。当然ながら、生活は一変した。
「14コマすべてがゼロになって、さすがに困り果てました。なんて強引なことをするんだという怒りを感じると同時に、組合活動をすればこうなるという"見せしめ"を自らの身で作ってしまったことに忸怩たる思いでした」
2014年1月、河合塾ユニオンは愛知県労働委員会に救済を申し立てた。2016年に不当労働行為と認定されたが、河合塾が中央労働委員会に再審査を請求。これが退けられるまでさらに5年を要した。
その間、再就職は困難を極めた。雇い止めと救済申し立てが知られていたため、塾講師の仕事はなかなか見つからず、個別指導塾で働いたものの年収は半分以下に。さらにコロナ禍で仕事が激減した。
「コロナで収入はほぼゼロになりました。50歳を過ぎての失業を両親に伝え、生活費を送れなくなったこと、そのことで終の住処になるはずだった実家を手放すことになったのは本当に辛かった」

●河合塾「必要な対応をおこなってまいります」
その後、河合塾はさらに国を相手取り、中央労働委員会の命令の取り消しを求める訴訟を起こした。
一審の東京地裁と二審の東京高裁はいずれも請求を棄却。河合塾は上告したものの、今年9月18日に上告の不受理が決定した。佐々木さんは昨年に復職していたが、それまでの賃金全額が支払われることになった。
河合塾は取材に対して「当塾の主張が認められなかったことは誠に遺憾でありますが、最高裁への上告が不受理になったことを受け止め、必要な対応をおこなってまいります」と回答した。
また、佐々木さんの雇い止めなど不当労働行為について「今後、このような行為を繰り返さないようにいたします」と記した文書を河合塾ユニオンに送付した。文書は9月30日付。ただ、結論が出るまでの12年間はあまりにも長かった。

