クマの都市生活

撮影でよく奥多摩の森や川に行くのだが、今年ばかりはクマが怖くて仕方ない。
いつもは天候や気温を気にして撮影日程を組んでいるが、それに加えてこの夏は「クマが出そうかどうか」まで考慮しなければならないのだ。写真を始めて25年、そんな経験は初めてである。
もちろん奥多摩にクマが生息することは以前から知っていたが、これまで一度たりとも「クマに気をつけろ」などと言われたことはない。まして、襲われた話など聞いたことがない。
ところが今年に至っては、すでに5月の時点で、登山中のロシア人がクマに襲われ重傷を負っているし、その数日後には、山中で下半身だけになった身元不明の遺体が発見されているのだ。現場周辺には大型動物とみられる足跡やフンが残されており、クマかどうかは断定できないと言われているが、どう見てもクマの仕業だろう。
さらに、この5月は東京都昭島市の多摩川河川敷でも、大型獣らしき動物のフンが見つかり、これも「クマのものではないか」と騒がれている。また、八王子市内でもクマが目撃されたばかりだ。
このスピード感でいけば、夏になるころには、さらに南下して多摩市まで来る可能性は高い。多摩市といえばサンリオピューロランドだが、キティちゃんがクマに襲われたら一大事だ。散弾銃を構えた猟友会がパーク内を徘徊するようになったら、サンリオの企業理念「みんななかよく」も崩壊である。
そう考えると、ディズニーランドは強い。
千葉県は、本州で唯一の「クマなし県」として知られているが、ひょっとすると東京ディズニーランドが、「東京」と冠しながら千葉県にあるのもクマ対策なのではないかと思えてくるほどだ。
ちなみにテディベア発祥の地であるドイツでは、野生のクマがとっくに絶滅しているらしい。2006年に170年ぶりとなる野生のクマが確認されたらしいが、即座に射殺されている。ドイツ人にしてみれば、「クマはぬいぐるみで十分」ということか。
なんだか裏切られた気分になるのは、おそらく気のせいだろう。
さて、そんなクマ騒動の只中にある日本列島だが、先日ついに、これまでの常識を覆すクマが現れたようだ。
ことの始まりは5月2日の朝、福島市の住宅街で男女4人を次々と襲ったクマが、板金などを製造する工場へと逃げ込んだことだった。クマのいる建物はフォークリフトなどで閉鎖され、周囲は完全に包囲された。緊急猟銃の許可が下りたため、対策チームが麻酔銃を打ち込んだが、クマは眠る気配を見せなかった。
こうして丸一日以上にわたって工場内にとどまることになったクマだが、なんと翌3日の夜、クマは自分で窓の鍵を外し、引き戸をガラッと開けて外へ逃げたというのだ。
さらに、クマを監視していた職員によると、クマが水道の蛇口をひねって水を飲んでいるところも見たという。
……おかしい。何かが決定的におかしい。
仮に原始人が現代へタイムスリップしてきたとしても、水道の蛇口を見て、ひねれば水が出るなどとは考えないのではないか。
なのにどうして、生まれて初めて山から降りてきたであろうクマが、蛇口を見てすぐに使い方を理解するのか。まして、窓をガラッと開けて外へ出るなど、どうしてできようか。
窓ガラスを頭突きで割って脱出するのが、野生というものだろう。
「賢い」という言葉では説明のつかない違和感を覚えるのは、私だけではないはずだ。
そういえばちょっと前に、クマの目撃情報が投稿できるサービス「くまログあおもり」で、「ヒグマが線路上で乱闘」「熊が隊列を作って行進」などとふざけた書き込みが相次ぎ、青森県知事が激怒する出来事があったが、最近のクマの様子を見ていると、これもあながち嘘ではなかったのかと思えてくる。
さらに遡ると、去年11月には、子グマが青森県の村役場を訪れ、正面玄関の自動ドアを開けて入ってくるという出来事もあった。職員は、「役場に野生動物が入ったなんて聞いたことがない」と驚いていたそうだ。
子グマですら、自動ドアの仕組みを理解しているのだから、大人のクマなら、住民票を取りに来たって不思議ではない。
また北海道では、人を見ても逃げないクマが目撃されているという。
これまでクマは、人間との接触を避けて生息していると言われてきた。登山者が身に着ける熊ベルも、音を出すことで「人間がいるから近づかないでね」というメッセージだったはずだ。
ところが最近は、クマが平気で人間とすれ違うというのである。
まるで、「避けて通るのは、お前らのほうだろ」と言わんばかりだ。これでは、怖い先輩と同じポジションではないか。
そもそもクマが街へ降りるようになったのは、森からどんぐりがなくなり、鹿が増えたことで食料となる植物が食い荒らされてしまったことが原因だと言われている。それに加え、今はクマのいる森にソーラーパネルが建てられているのだ。
クマたちが、「仕方ない、都会に出るか」と考えるのも無理はない。
クマはクマで、この文明社会に適応しようと必死なのだ。
鍵を開け、水道を使い、自動ドアを突破し、人間を避けなくなったクマたち──。
これだけ進化のスピードが速いと、クマが言葉を覚え、貨幣経済に適応するのも時間の問題だ。
いずれクマは人類との共生に成功し、自治会へ加入したり、地域の清掃活動に参加したりするようになるだろう。
ネット証券に口座を開設し、NISA口座で投資信託を始めたり、都心のタワーマンションを買い占めるクマも現れるかもしれない。
我々は、そのときが来るまでに、一刻も早く火星へ移住しなければならない。
久しぶりに地球へ戻ってきたとき、むしろクマのほうから「人間が水道の蛇口をひねって水を飲んだ!」と驚かれていることだろう。

