
小学校から帰宅すると、外をふらつく母を捜して連れ戻したり、排せつの後始末をしたりする日々。小学5年生から始まった母の介護、ヤングケアラーだった子ども時代を描いた漫画「48歳で認知症になった母」について、原作者・美齊津康弘さんにインタビューを実施。壮絶な環境に置かれた際の思い出や、ヤングケアラーを支援する活動について話を聞いた。
お母さんが認知症を発症されたときの心境について、美齊津康弘さんは「どんどんおかしな言動が増えていく母を目の前にして、何が起こっているのか理解できず、『これは夢に違いない』『ある日何かのきっかけで元のお母さんに戻るはずだ』と本気で思っていました」と語る。
また、母は冗談が好きな人だったため、わざとおかしくなったふりをして自分にいたずらをしているのではないかと思い、毎日「お母さん、もうやめてよ」と言っていた時期があったという。母が笑いながら「全部嘘よ。驚いた?」と言ってくれることを毎回期待していたが、やがて諦めていったそうだ。鏡に向かって独り言を話す母を背後から見つめながら、シクシクと泣いていた記憶があると振り返る。




11歳という若さでヤングケアラーになったが、当時は母の世話を困難とは感じていなかった。「そもそも『世話をしている』という感覚もなく、いつも母の言動や行動を止めさせようとして、ひたすら目の前の母に対応していただけのように思います」と話す。当時、彼の生活の一番の関心ごとは母の病気だったため、同世代の友人たちが持つような関心ごとには全く興味が持てず、心理的にも大きな隔たりを感じていたという。「今思えば、ただ母の心配ばかりして過ごした少年時代だった気がします」と語った。
認知症の母親との日々の生活で特に印象的なエピソードとして、徘徊していなくなった母を探して連れ帰ったときのことを挙げた。ある日、目の前にきれいな夕焼け空が広がり、2人で手を繋いだまま見とれていたという。病気が進行してほとんど会話ができない状態だった母は、彼が「きれいやね」と言うと、「きれい」と答えてくれたそうだ。「久しぶりに母と気持ちが通じ合った気がして、私はとてもうれしく感じて、『このまま時間が止まって欲しい』と思いました」と、当時の感動を振り返った。
漫画を描き始めたきっかけと作品を通じて伝えたいメッセージについて、美齊津さんは「私はずっと自分の体験を『恥』だと思って生きてきました。人に知られたくない過去でした」と打ち明ける。そんなある日、ヤングケアラーのことをニュースで知り、昔の自分と同じような子どもが世の中にたくさんいることに非常に驚いたという。それからヤングケアラーの話題を頻繁に聞くようになり、「自分の体験が今もどこかで苦しんでいる人を慰める力になるかもしれない」という思いが湧いてきたと、創作の動機を話した。
※記事内に価格表示がある場合、特に注記等がない場合は税込み表示です。製品・サービスによって軽減税率の対象となり、表示価格と異なる場合があります。

