マイノリティに向けられる理不尽な差別をなくすため、レイシズムに抗い続ける神原元弁護士。差別問題に本格的に関わる出発点は、2013年に東京・新大久保でヘイトスピーチデモを目の当たりにしたことだったという。
「昔からこの問題に取り組んでいたと思う人もいるかもしれませんが、僕が差別の問題について考え出したのはこの15年ほどです。
マジョリティである日本人には、当事者として差別の問題を考える機会がほとんどなく、そのことが関心の薄さにつながっているのでしょう。でも、多くの弁護士がこの問題に取り組むべきだと思います」
人種差別に基づくヘイトスピーチ裁判を代理人として担当し、原告勝訴を勝ち取り、現在は弁護団の一員としてクルドヘイト訴訟に尽力している神原弁護士は、今、日本社会に広がる外国人差別をどう見ているのだろうか。(取材・文/塚田恭子)
●「外国人の事件はやらなければ」
学生時代に少年事件に取り組む弁護士の本を読んで、初めて真剣に考えた職業が弁護士だった。
弁護士登録後は労働事件や刑事事件を中心に活動する一方で、入管関係の事件も扱った。
「四半世紀前の川崎市では、日本人と結婚した東南アジアの女性がDV被害で離婚し、在留資格を失うケースが多く、支援団体に頼まれて1つ引き受けると、次々と依頼が来るようになりました。
入管関連では、コンゴの人の難民認定義務づけ判決を得ることができました。東日本入国管理センターのある(茨城県)牛久市に通うのは大変で、多くの案件は担当できませんでしたが、外国の人の事件はやらなければという気持ちは、ずっと自分のどこかにありました」
●新大久保のヘイトスピーチに衝撃
そんな中、2013年、東京・新大久保でヘイトスピーチデモを目の当たりにした。
「聞くに堪えない言葉を叫ぶ人たちを目の前で見て、弁護士として取り組まなければと思いました」
これを契機に差別問題へ本腰を入れ始めるが、それは「めぐり合わせや流れによるところが大きかった」と振り返る。
「川崎でもヘイトデモが起きた際、2013年に熱心にやっていた弁護士がいたと、被害者側から声がかかって。当事者からの要請に応じる中で、海外の文献を読み込み、現場の課題を学んでいきました」
当時の法曹界は、今以上に「表現の自由はもっとも重要な権利」とする考えが主流だったそうで、ヘイトスピーチ規制を支持する弁護士は少なかったという。


