
無類の地図好き、池上彰と松重豊が古地図を片手に街を歩く「池上彰と歩く謎解き日本地図」(BSテレ東)。7月14日の放送では名古屋を歩き、豊臣秀吉と徳川家康に迫る。いつものように歴史を感じながら歩く2人が、シリーズ初のアクシデントに見舞われた。常泉寺をはじめ、豊臣秀吉ゆかりの地に潜む謎を巡っていく。
■秀吉生誕の地に建てられた常泉寺
名古屋編ということで、“豊臣秀吉生誕の地”に建てられた太閤山 常泉寺の「豊太閤の像」に集合した池上と松重。織田信長、徳川家康と並んで「三英傑」とも呼ばれる秀吉の人となり、そして古地図から読み取れる謎の数々を追う。
番組始まって早々、歴史に明るい松重がさっそく疑問をぽつり。「豊臣秀吉は農民の出身ということなんですけども、その時代にその地図、“農地の地図”なんてものがあるんですか?」とさすがの鋭い視点からこぼれた質問に、池上は「スタッフがですね、一生懸命探してついに見つけたんですよ!」と手を打って応えた。
取り出したのは「愛知郡村邑全図 上中村」。色や線の太さこそ分かれているものの、かなり手書き感が強い。寛政(1789年-1801年)期に尾張藩の農政担当の役所が管理した絵図とのことで、地区の庄屋や地区長の家、用水路、八幡宮などがざっくり描かれているのが見て取れる。
常泉寺は秀吉の親戚という立場でもある加藤清正が建立した寺だが、そこにはあらかじめ秀吉の「自分の家の跡に寺を建てよ」という命があったそうだ。その場には秀吉が11歳の頃に手植えしたというヒイラギの木もあり、秀吉の産湯として使われた当時の生活用井戸もある。加藤清正が建てた寺は、結果として秀吉にまつわるさまざまな史跡が良好な保存状態を保つことに寄与した。
秀吉の“ご神体”も祀っている常泉寺。秀吉が生存している頃に木食応其という僧侶に掘らせた木彫りの像なのだが、松重は「イメージする秀吉像とはちょっと…全体像は違う感じはするんですけどね」とデザインの違和感を口にする。教科書で見る肖像画と違ってふっくらした頬とがっしりしたアゴなど、いわゆる“猿”というあだ名で知られる秀吉の印象とは確かに違う。
この質問には、住職が「正確…プラス、若干盛られている…」と補足をする事態に。やはり当時は絶対的な権力者であった秀吉の像を彫るにあたって、多少の忖度があったというのも実に人間臭いエピソードだ。
■家康の叡智が光る名古屋城
名古屋とくれば訪れないわけにはいかないのが名古屋城。そして今回の「古地図マスター」として名古屋城の案内をしてくれるのは、意外や意外、外国人のクリス・グレンだった。名古屋城に921回も通い、城内にある英語の解説文を担当したという実績を誇る本物の“城オタク”だという。
そんなクリスが特に名古屋城を推す理由は、戦国時代の築城技術が最も高まったタイミングにできあがった城だから。「最高の城」と明言する城の案内を頼まれたクリスが「全部見たいだったら3~4時間かかりますけど」と言うと、池上と松重から「いやいやいや、コンパクトに」とツッコミが飛び出す一幕も。
名古屋城はそもそも、関ヶ原の戦いを終えた家康が“豊臣家を押さえる要所”として築城した経緯がある。秀吉が建てた大阪城にはまだ秀吉の息子・秀頼がいるため、万が一でも家康がいる江戸城に向けて進軍された場合を考えて建てられた最終防衛線。それゆえに四方には背の高い櫓(やぐら)、門を破ってきた敵を一網打尽にするための桝形虎口など非常に考え抜かれた防衛設備が揃っている。
ところがこうした見事な設備の数々は、掘りや石垣も含めてたった6カ月で完成したという。家康はもともと敵だった外様大名20名に地図を渡し、担当地区を分けて築城を手伝わせた。大名たちにとっては敵対心がないことを表す良い機会であり、家康にとっては外様たちに敵対的なアクションを取る暇をなくし、素早く築城を終わらせることができる。ちなみに築城に際しては金を払わなかったということで、経済力を削ぐという意味でも外様大名の謀反を防ぐ一助に。人心掌握と智謀に長けた家康らしいエピソードだ。
■池上不在で“孤独の”古地図めぐりをすることになった松重
場面が移り変わると、突如「『池上彰と歩く謎解き日本地図』の時間ですが…」とつぶやき始める松重。なんと名古屋周辺の大学で講義をするために、池上が抜けてしまったというのだ。「ここからは、私1人でお送りさせていただきたいと思います」と気丈に歩きながら、「『松重豊と歩く謎解き日本地図』に…」などと冗談を言っているうちに次の古地図マスターを発見する。
2人目の古地図マスターは名古屋大学の名誉教授・溝口常俊氏が案内するのは、堀川にかかった五条橋。「ここに立つと名古屋城下町400年の歴史が“5分”で語れるという、そういう場所なんですよ」と話す溝口が見せたのが、「宝暦十二午改名護屋路見大図」という1762年に作られたと言われる古地図だ。
名古屋城周辺の街並みが見られる地図で、城下町が見事に碁盤割りでデザインされているのがわかる。だが溝口が重要なポイントとして挙げた「五条橋」は、その下を流れる「堀川」ができる8年前に建築されたという奇妙な来歴を持っていた。
これは家康が“町ごと引っ越した”ために起きた現象で、古い城下町から先に橋だけを移築してあとから人工の堀川を引いた…ということらしい。「名古屋の前に中心地だったのが、清須っていうところです」と解説する溝口によれば、信長の時代から地域の中心だった清須は水害や地震に弱い低湿地だったために熱田台地に要所を移す必要があった。そこで商人、家族、武士、町人、神社、寺…とありとあらゆるものを引っ越す「清須越し」のなか、「五条橋」も含まれていたというのだ。
さらに碁盤割りされた町の造りには、名古屋城を守るための戦略的な計画も含まれていた。名古屋城は東側と南側に大きな掘りがないのだが、それを補うのが“寺”の存在。寺はそれぞれが大きな敷地を誇っているため、いざ戦となれば出城・兵舎として機能した。地図を見ても名古屋城の東には約5万坪の敷地を誇った「建中寺」があり、南側には多くの寺社仏閣が集積している。
地図から見えてくる、当時の偉人達が尽くした知略の限り。秀吉、家康がそれぞれの思惑で造り、残した史跡が現代に伝える情報は多い。まさかの“池上彰抜き”という珍展開が待っていた7月14日の放送回は、TVerほか配信サイトで見逃し配信で視聴可能だ。

