【第2話】もうボクがいなくても大丈夫だね~ミニチュアダックスのクリフとチワックスの凪~


(C)皐月コハル・さかぐちまや/スターツ出版 無断転載禁止
――友人の飼い主アリーちゃんと愛犬クリフが共に生き、病気と闘った十六年三か月間。そして新しい犬を迎えるまでの話。
*
クリフとの運命の出会いは、まだ独身の頃だった。普段、あまりペットショップに行くことはなかったが、あの日は、友達を待つ時間を持て余して、ふらりと一軒のペットショップに入った。犬は好きだったし、実家にも犬はいたけれど、「いつかまた一緒に暮らせたらいいな」と思う程度で、すぐに飼おうなんて気持ちはなかった。
店内では、愛らしい仔犬たちが一斉に愛嬌を振りまいていた。人が通るたびに「見て見て!」とでも言うように、きゃっきゃとはしゃぎ、お尻を振ってこちらに向かってくる。
「ダックス、可愛いなあ」
そう思いながら眺めていたその時だった。奥の方に、一匹だけ――妙にすごくデカい子がいた。他の子とはまるで違う。愛想を振りまくでもなく、どこか斜に構えたようにシレーと静かにそこにいた。
「……あの子、なんだろう?」
気になって、よく見ると、右前足が少し外に曲がっていた。しかも、明らかに他の子より大きい。聞けば、すでに生後四か月を過ぎているという。
店員は手前の小さくて可愛い仔犬たちを勧めてきたけれど、私の目はもう、その子から逸らせなかった。
「あの子、抱っこしたいです」
それは、自分でも驚く言葉だった。私は昔から、ペットショップでの抱っこは絶対にしないと決めていた。情が移ってしまうとわかっていたから。
それでも、その日は違った。連れて来られたその子は、顔がスンって、なんだかやはり無愛想で、尻尾もダラーンと下げたまま。
「大丈夫かな、この子」
そう思いながら抱き上げたその瞬間――私のほっぺたに耳をピッとくっつけてきて、尻尾もフリフリし始めたかと思うと、ぶわーっと大きく振り出した。店員も「え?」という顔で驚いていたけど、私はその姿に一瞬で落ちてしまった。
もう生後四か月くらいで、値段もかなり下げられていた。「今、この子を連れて帰らなければ、この子はどうなるのだろう」と思った。
店員はハッキリと「足はおそらく生まれつき外に開いているので、いわゆる売れ残りなんです」と説明し、別の子を勧めてきた。
でも、私の目にはもうその子しか入っていなくて、迷いはなかった。
「この子がいいです。今から連れて帰っていいですか?」
そう自然に言葉が口をついていた。
こうして私は、その子――クリフを家族に迎えることになった。
クリフは、店で見た姿とは正反対の子だった。やんちゃで、いたずら好きで、なんでも噛んで壊してしまう。でも、その一方で、トイレをすぐ覚える賢さや全然怒らない性格で、どこか穏やかなところもあった。
そんなクリフと、私は十六年を共に過ごした。私の人生の良いことも、悪いことも、すべてを見てきた相棒だった。
ある時期、私は心が折れてしまい、家に引きこもるようになった。消えてしまいたいと思う日もあった。それでも、いつも隣にはクリフがいた。
一緒に眠り、一緒に目覚めて。
「この子を看取るまでは、生きなきゃいけない」
それが私の生きる唯一の役割――そう思い、日々を繋いでいた。
やがて私が乳がんを患った頃、クリフもまた、老いと病気に向き合っていた。
歩くことすら困難になり、何度も「今夜が山です」と告げられた。
私は、がんが見つかり絶望していた。自分がいつ死ぬかわからない、そんなことを突然突きつけられて「どうやって生きていこう」、「どうやって治していこう」と――。
だけど、クリフは生きることを諦めなかった。足を引きずってでも外に出て、今まで通り庭で用を足す。どんなに辛くても、「まだ自分は歩ける」「オムツなんていらない」と言わんばかりに。
その姿にクリフの「誇り」を感じた。すごく素敵なプライドと、根性と。確かにもともとタフな子だった。ヘルニアの手術をして後ろ足が麻痺した時のこと。先生には「申し訳ありません。もう足は動かない」と謝られたけど、諦めきれなくて、家族でリハビリをとことんやったら、普通に走れるまでに治ったのだ。
――「生きる」ってことをクリフが見せてくれた。
「クリフがこんなに頑張っているなら、私も頑張ろう」
そして、クリフと共にそれぞれ治療と闘っていく決心がついた。
私は手術をし、体も治療に慣れてきた頃、いくつか季節が過ぎもう冬になっていた。
クリフは全然動けないくらいに弱っていて。最後は、クリフが大好きな匂いと家族に囲まれた状態で見送りたいと思って、延命治療をしないことにした。
ある冬の寒い夜――。
「今日だな」と、なぜかはわからないけれど、そう確信した。家族が寝静まった静かな夜、私はクリフを赤ん坊のように抱きしめていた。荒くなる呼吸。苦しそうな体。
「もういいよ。大丈夫。私は大丈夫だよ、クリフ」
そう、優しく声をかけた。
「クリフがそばで見守っていなくても、私は一人で立っていけるから、もう無理しなくていいよ」
その言葉を伝えて、ほんの数分後。
クリフは、私の腕の中で静かに息を引き取った。ずっと願っていた通り私の腕の中で。
「どうか、どうか、あなたの目に最後に映るのは私であってほしい」
クリフにそう言い続けていたから。最後までなんて親孝行な子なんだろう。もうこんなにしんどいのに、きっと病気の私のことを、最後の最後まで心配して、踏ん張ってくれていたんだと思う。
『もうボクがいなくても大丈夫だよね』
そう見届けられた気持ちだった。私が落ち着くまで、自分が死ぬのを長引かせてくれたと感じて……。クリフは最後まで「生き様」を見せてくれた。
私にもだし、家族にも、子どもたちにも。すごく、カッコいい生き様だった。
だから、心にぽっかりと穴が開いてしまった。
でも、子どもを育てなきゃいけない。その目の前にある現実と、がんの治療を頑張らなきゃ、という想いだけがなんとか私を動かしてくれていたけれど。
なんといえばいいのだろう、こう自分の一部を、ぐわっともぎ取られたような……どこかに置いてきたみたいな、そんな気持ちだった。
それからしばらくして。喪失感を抱えたまま過ごしていたある日、私はまた、運命に導かれるように一匹の仔犬と出会う。
普段なら通らない場所。息子がトイレのために立ち寄らなければ、絶対に行くこともなかったペットショップ。
そこにいたのは、どこかクリフの面影を感じる小さな命――凪だった。
何度も通い、悩み、家族と話し合い、迎えた子。いざ暮らし始めると、ダックスにチワワの血が入っているのもあって、全然、クリフには似ていなかった。もちろん性格も全然違う。でも、またダックスとは違うミックス犬ならではの可愛さに気づけばハマっている。まるで、クリフがいたあの日々と同じように。
クリフと凪。違う命で、違う個性で、それでも確かに繋がっている何か。クリフが教えてくれた「生きる」ということ。そのすべてが、今も私の中で息づいている。
だから、これから先、何があっても、あの子の思い出がある限り、私はきっと、乗り越えられる。乗り越えなきゃいけない。そう信じている。


(C)皐月コハル・さかぐちまや/スターツ出版 無断転載禁止
この記事の詳細データや読者のコメントはこちら

