
7月14日に放送された「プロ野球 レジェン堂」(毎週火曜夜10:00-10:55、BSフジ)。今回のゲストは4月に引き続き2回目となる江川卓だ。4月の放送回では幼少期から大学、プロ入りまでを振り返ったが、濃密なエピソードの連続で時間切れとなってしまった。徳光和夫との約束を果たす形で再び出演した今回は、プロ入り後の野球人生を2週にわたって特集。前編では読売巨人軍入団直後の孤立やプロの壁、20勝を達成するまでの知られざる秘話が語られた。
■「キャッチボールしてくれる人がいない」巨人入団後に待っていた孤立
江川は1979年に巨人へ入団したものの、「空白の一日」を巡る騒動の影響もあり、球団は同年5月31日まで江川の1軍登録を自粛。デビューは6月まで持ち越されることとなった。当時、ファンの間では“巨人の選手たちが江川と距離を置いていたのではないか”という見方も広がる事態に。
徳光が入団当時のチーム内の雰囲気を尋ねると、江川は「入り方が入り方なので…」と切り出す。ファンが懸念していたとおり、チームメートとの間に溝があったことを認める。具体的には、「キャッチボールしてくれる人がいない」と当時の孤立した状況も明かした。
チームには江川の後輩にあたる鹿取義隆も在籍していたため、江川はキャッチボールの相手を頼んだという。しかし鹿取は“周囲から江川とキャッチボールをしないように”と言い含められていたため、断られてしまう。そんな中、唯一相手になってくれたのが西本聖。江川は今でも西本には恩があると振り返った。一方、当時の監督だった長嶋茂雄について徳光が「ただひたすら“江川が入ってうれしい”という感じでしたね」と回顧すると、江川も「もしかするとあったかもしれませんね」と語る。
江川は当時の状況を「1対17でしたから。味方がマイナス8人、対戦相手が9人」と表現。打球が飛んでもチームメートが積極的に捕りに行ってくれないことがあり、味方さえも“敵”のように感じていたという。徳光も「そういう感じがしました。どうして手を出さないんだっていう」と、スタンドから見ていても異様な空気を感じていたことを明かした。
■“30勝できると思っていた”…自信を打ち砕いたプロのフォークボール
厳しい環境に置かれながらも、江川はプロ入り時の心境について「30勝できると思ってました」と告白。その大胆な発言は遠藤玲子アナを驚かせるのもだったが、江川の1年目成績を振り返ると9勝10敗に終わった。学生時代には空振りを奪えた球も、プロの打者はバットに当ててファールで粘る。そのため、なかなかアウトを取ることができずに“プロの壁”を感じたという。
さらに江川は、プロのレベルを痛感した意外な場面を明かす。「一番ザワついたのはピッチングじゃなくて、バッターボックスに入ったとき」といい、特に印象に残っている山本和行の投球を振り返った。
1球目に甘く見える球がキャッチャーミットに収まると、続く2球目も同じ球種と見た江川はバットを振る。ところが「ボールがパッと消えた」ように見えてバットは空振りに。3球目も同じように見えた球を振ったが、再び視界から消えてしまう。初めてプロのフォークボールを体感した江川は「鳥肌が立った。怖くて」と振り返り、その瞬間に“30勝”という数字も頭の中から消えたとこぼす。
それでも“地獄の伊東キャンプ”などを経て、着実に成長。2年目の1980年には16勝12敗、防御率2.48を記録し、最多勝と最多奪三振を獲得した。さらに3年目には20勝を挙げ、最多勝、最優秀防御率など投手5冠を達成。巨人のリーグ優勝と日本一に大きく貢献した。
前年に16勝を挙げながら、球団から“16勝は最多勝ではない”という趣旨の言葉を投げかけられて悔しい思いをしたという江川。しかしその場で翌年の20勝を宣言し、見事に有言実行を果たした。記念すべき20勝目は13奪三振の完封勝利。あまりのうれしさに、初めてガッツポーズを見せたという。
■逆境を実力で覆した江川卓 独特の投球フォームに隠された秘密も
徳光は「江川さんが投げる日っていうのは、テレビ局が困ったんだよね」と、江川登板日の中継事情を懐かしそうに語った。江川は投球テンポが速いうえ、打者が次々と三振や凡打に倒れるため試合が2時間以内に終わることも珍しくなかったという。そのためテレビ局は、放送時間の隙間を埋めるフィラーと呼ばれる映像を用意しなければならなかった。
また、江川は独特の投球フォームに関する驚きの事実も告白。「カーブを投げたいとき、真っすぐのサインが出たら首を横に振りながら投げていた」と明かした。遠藤が「それ本当ですか?」と聞き返すと、徳光も思わず吹き出しながら「そういえば首振ってましたね」と納得。投球中に見せていた首の動きには、キャッチャーへの意思表示という意外な理由が隠されていたそうだ。
入団直後の江川は球界を揺るがした騒動の中心人物として、相手チームだけでなく本来は味方であるはずの選手たちとも戦わなければならなかった。江川とトレードになった小林繁が巨人内で厚い人望を集めていたことも、周囲の反発を強めた一因だったという。江川自身も「当然だなと思いました」と、いまでは当時の選手たちの心情を冷静に受け止めている。
それでも孤立やプロの壁を言い訳にせず、わずか3年目で20勝と投手5冠を達成。その堂々たる歩みは、江川が“怪物”と呼ばれた理由を改めて物語っている。圧倒的な投球の裏に周囲から受け入れられない苦しさや、自信を一度打ち砕かれた経験。“記録の重み”も違って見えてくる、壮絶な江川の告白回だった。
7月21日(火)の放送では、巨人のエースとして盤石の地位を築いた時代を特集。まだまだ尽きることのない江川の伝説的なエピソードに注目したい。

