「多様性」の裏で起きていること
近年の「多様性」という言葉の浸透は目覚ましいものがありますが、その裏側で、性的マイノリティであるLGBTQへの「認識の曖昧さ」から生じる新たな課題が浮き彫りになっています。その象徴とも言えるエピソードが、今、SNS上で大きな波紋を呼んでいます。
中学入学時からスラックス制服を選び、髪をショートに切り揃えた中2の少女が、周囲から「最近流行りのLGBTQってやつ?」「男の子になりたいの?」と執拗に聞かれ、うんざりしているという、母親のX(旧Twitter)投稿です。この投稿は瞬く間に数万の「いいね」を集め、多くの共感と、大人社会への苛立ちの声を伴って拡散されました。
この事案が示すのは、服装や髪型の「個人の選択の自由」と、「性的マイノリティのレッテル貼り」という危ういバランスです。制服の多様化が進む教育現場において、いかに本質的な理解が欠けているかが問われています。
「ただそれだけ」を許さない社会の視線
投稿者の「スラックスの制服を着たくて着てるし、ショートヘアにしたくてしてる、ただそれだけなんだけど…」という娘さんの言葉は、まさに現状のジレンマを凝縮しています。
コメント欄には、同じくスラックスを選ぶ娘を持つ親からの共感の声が相次ぎました。一人のユーザーは、「うちの娘もスラックス第一号で、『なんでスカート履かないの?』『男の子になりたいの?』と聞かれてうんざり。ようやくここまで来たけど、もう一歩」と、自身の体験を重ねています。また、「10年前、スラックス採用時に『LGBTのため』と言われてノイズ。痴漢被害や寒さで選ぶ女の子を無視されてた」と、多様性推進の文脈が、かえって個人の選択を狭めてきた歴史を指摘する声も見られました。
ここで問われるのは、「多様性」と「LGBTQ」の境界線です。多様性とは、服装や髪型、趣味などの個人の選択を尊重し、「自分らしさ」を表現できる社会を指します。一方、LGBTQは性的指向・性自認のマイノリティを指し、しばしば差別や精神的負担を伴います。
投稿のケースでは、スラックスやショートヘアが「ただの好み」であるにもかかわらず、LGBTQの「兆候」と短絡的に解釈される誤解が問題の本質なのでしょう。

