私はかなりせっかちで大雑把な性格であった。
どんな機械や電化製品でも、説明書は読まずに電源ボタンを押して行き当たりばったりで作動させようとするし、エレベーターは「閉」のボタンを押してから行きたい階のボタンを押していた。
とにかく少しでも早く目的を達成したい、という欲が人より強かった。
機械はすぐに変な音を出すし、エレベーターでは私の後ろに続く知人を挟んでしまうし、結局は無駄な時間を過ごすと分からずに生きていた。
今もまだ急いでしまう癖はたまに出てしまうが、昔よりはゆっくり慎重に物事を進められるようになった。
丁寧に生きることの大切さに気づけたのは演劇と出会ったからである。
そんなスピード重視で生きるのはよくないと、演劇が教えてくれた。
20代の頃に所属していた劇団で、私は舞台セットを作る担当をしていた。
担当といっても私が先導して指揮するのではなく、劇団の先輩に指示された場所に釘を打ったり、言われたサイズに木を切ったりする程度の立ち位置だった。
とにかく早く終えて帰りたかった私はいつも無心で釘を打ちまくり、ノコギリで木を切り続けていた。
するといつも、打った釘は後ろに置いていた他のパネルと繋がっていたり、言われたサイズより数センチ短い木が出来上がっている。またやってしまったかと、釘を抜き木を切り直す。無駄な時間が次々と発生し、倍以上の時間をかけて家に帰宅するというどうしようもないことになっていた。
劇団の先輩が毎回「ゆっくりでいいから」と言い続けてくれて、慎重に釘を打ち丁寧に採寸をすることを覚えていった。
30代になり、脚本家としてお仕事をいただけるようになってさらに丁寧に生きる重要性を学んだ。
執筆作業は急ごうとしても急げない。
約70~90ページの脚本を書く作業は、どんなせっかち人間でも一日では終わらない。
1ヶ月や2ヶ月先の締め切りの日まで毎日コツコツやっていくしかない。
毎日少しずつ蛇のようにしぶとくジワジワと書くことを心掛けていても、勢いで駆け抜けてしまうことはある。適当にいい加減に書いているわけではないが、細かいところに注意が行き渡っていない大雑把に書いたシーンは粗が出る。初稿をあげた後の打ち合わせでは必ず指摘されるし、打ち合わせを乗り切ったとしても稽古が始まると役者から整合性が取れていないことがすぐにバレる。
結局、丁寧にひとつずつ紡いでいくしかないのである。
1日で2~3ページを書けても、翌日に読み直してつまらないと思えば消してまた一文字ずつ紡ぐ。何も書けない0の日も耐えて、とにかく脚本に向き合うという時間を過ごす。
何も動かない時間は無駄ではないと信じて、脚本との時間を積み重ねていくしか、脚本家として生きる自分が報われる手段はないのだと演劇から学んだ。
(先月終わった舞台の脚本の最後のページ。76ページで41476文字だったようだ。この数字を見て「頑張ったなー自分。これだけ書ける子だよ」と自己肯定をしている)
そう、これは書けない時間を肯定する原稿だ。
いつものように、絶賛執筆停滞中。
何も進まない時間。本当はとても焦っている。

