
『ABEMAエンタメ』の独自企画「Re:MAKE 〜拝啓、あの頃の君へ〜」に講談師・神田伯山が出演し、10歳で父を亡くした少年時代や、講談との運命的な出会いなどについて語った。
■神田伯山、10歳で父を亡くした当時を回顧「もう普通の道を歩けない」
伯山は自身の12歳当時の写真を前に、幼少期について「当時は明るかった。明るく楽しく元気な子でした」と振り返る。しかし、小学4年生の時、42歳だった父親が突然この世を去り、人生は一変。「今までキャッチボールとかしていて楽しかったのが、急にいなくなってしまう。その喪失感は子どもを能面みたいな顔にさせる」「急に行く道がガーンと曲げられた感じがした。元に戻れない」と当時の心境を吐露。
さらに、父親の葬儀にクラスメイトが訪れたことで「親と一緒にいる世界と、子どもたちだけのコミュニティは別々だったのに、葬儀に来たら繋がっちゃうじゃん。俺もう逃げるところないじゃん」「親父がいない世界線でしか俺は生きられないとなった時に、もう俺は普通の道を歩けないんだって…」と振り返った。
中学生になっても喪失感は消えず、「なんで人間って死ぬんだろうな」「教師も嘘っぽいことしか言わないし」「とにかく居場所がなかった」と語るなど、出口の見えない日々を過ごしていたことを明かした。
■「誰もいないんだったら俺がやる」講談との運命的な出会い 人生を変えた高校時代
高校時代に友人に誘われて初めて浅草演芸ホールで落語を観た伯山は、「めちゃくちゃ面白かった」と衝撃を受ける。その後、講談にも触れるようになり、「大変失礼ながら、自分と講談というマニアック同士なものが、すごく居心地が良かった」と回顧した。
さらに「落語入門とかの本は10数冊出ているけど、講談の本はほぼ出ていなかった」と気づいた伯山は、「『これ、ちょっと待てよ、俺じゃねえの』と思った」と振り返る。当時は「学芸会でも“農民B”」「野球やったことないのに、ミットはめたことないのに『俺じゃない?』と言っているようなもの」と不安もあったものの、「全能感があったから『やってやろう、誰もいないんだったら俺がやる』みたいな若気の至りもあって、入門行きました」と、講談の世界へ飛び込んだきっかけを明かした。
そんな激動の10代を振り返り、「自分の人生の辛いことやコンプレックスが全部プラスになる。その時の辛かったことが全部いい方に変わる」と、過去の自分へ力強いメッセージを送った。
■「42歳で死んじゃうのかなって呪いがかかっていた」亡き父の年齢を超えて語った現在
24歳で講談師となり、36歳で真打に昇進。“日本一チケットが取れない講談師”と呼ばれるまでになった伯山は、前座時代の自分を振り返り、「『お前、講談なんかで飯食えないだろう』『落語家は夢がある、講談なんて売れることなんかないだろう』とか、いろんな人がいろんなことを言っていた」と回顧。
それでも、「全部無視していて『こいつらの言っていることは全部間違っている』と思っていた」と当時の強い信念を明かし、「その時は俺がバカだと言われていたから、世の中はひっくり返るんだな。世の中あべこべなんだな」と語った。
現在は4人の弟子を育て、一児の父となった伯山。今年6月には、42歳で「ベスト・ファーザー賞」を受賞し、その翌日に43歳の誕生日を迎えた。「近所の人や親類の人も『お父さんの年齢が42で止まっちゃったから、かっちゃんは長生きするんだよ』と言われていたけど、どこかで『親父が42歳で死んでるんだったら、俺も42歳で死んじゃうのかな』って呪いがかかっていた」と本音を吐露。
しかし、「43歳になれて長生きできるかもしれないと思った。ここから折り返しなので、楽しくなると思います」と、亡き父の年齢を超えた今の心境を語った。
「Re:MAKE 〜拝啓、あの頃の君へ〜」は現在もABEMAにて配信中。

