今の仕事を選んだのはなぜ?どんなルーツを辿ったの?学生時代の学びは今の職業にどう活かされている?今回は3つの歯科医院を経営し、自身も歯科医である医療法人社団D&Jひらの歯科医院理事長の平野大輔先生にお伺いしました。

こんにちは。
今私は歯の健康が体の健康につながるという視点から歯の大事さを新潟の方々に伝えております。患者様はお子様からご高齢の方まで、またインプラントや矯正治療、またはご高齢の方の訪問歯科治療にまで多岐にわたっております。さまざまな患者様が来院されるため、歯科医師の仕事は非常に難しいと思われがちですが、毎日が楽しく、新たな技術と知識を得られることにワクワクしている毎日です。今思えば私の中学生高校生または大学生の時代から考えて今のような状況になれるなんて夢のようなお話です。私がどのようにして歯科医師になったかを今回はお話しさせていただきます。
野球一色だった小学生から高校時代
私は、歯科とは全く関係ない職業をしている両親のもとで育ちました。父も母も歯に特別興味がある感じではなかったと記憶しています。当然私もおやつをよく食べしっかり磨かず、小学生の時は歯科医院への通院の勧告の紙をもらうようなことがよくある子供でした。歯科医院へイヤイヤ通院して痛い思いをする、そして銀歯になる。お口の中に銀歯が入っていることに対しての抵抗なども全くなかったのです。
小学生から野球に熱を上げており、高校も進学校へは行ったものの、野球をやるために入ったような感じでした。野球部での練習が厳しく、赤点の嵐。そして進級できるかどうかを担任の先生に怒られるほど成績が悪い高校生時代でした。高校野球ではポジションがキャッチャーで、チームの潤滑油のような役割をしていました。今思うと「みんなが仲良く。」「嫌な思いをさせない」という事を徹底して学べたこの時期が大変貴重な学びでした。勉学では学べない貴重な経験でした。
引退後に抜け殻となり、悩む日が続く
野球が引退になり卒業したときには何をしていいかわからない。どのようなことに熱中していいかわからない状況になりました。当然大学に受かるべくもなく、浪人生となりました。浪人生になってからも何のために勉強していいのかわからなく勉強に身が入りません。結局自分の偏差値で入れる大学に入り、なんとなく大学生活を送ることになりました。
大学生生活を送っていると、自分は何のために生きているのか、将来どのような職業に就くのかなど、不安が襲ってきます。やりたいことが大学生になっても見つからなかったのです。あまりにもやりたいことがなく、目の前のことに打ち込むことができなかったので、私は一人暮らしの家で閉じこもって学校にも行かず考え込んでしまいました。閉じこもって考えるのは半年位に及んだのかもしれません。遠くに住んでいた両親からも学校に通っていない現状に対しての心配の連絡が来ました。心配させないでおこうと思うもののやりたいことが見つからない。そんな毎日で深い悩みに入りました。そのような状況になって毎日悩む日々がとてもつらかったのです。
後から思うことですが、この苦しみ続けた半年間が(楽しくもなく、つらく、また友達なんてものも全くできませんでしたが)まぎれもなく自分にとっての青春だったのではないかと思っています。考えて考えて考え抜いた、そんな時間でありました。
その悩みはある時急に晴れました。医療のドラマや小説を見て、自分は医療をやりたいと思うに至ったのです。
「嫌だった想い出」が目標になる
思い出したのは自分が虫歯っ子で何回も何回も歯科医院に通わされ痛い思いしかしなくて、そしていつの間にか銀歯だらけになっている自分のお口の中でした。自分のような虫歯っ子を作らないのも素敵な夢なのではないかと思い、今の大学を退学して歯学部を目指す選択をしました。
ずっと見つからなかった目標がやっと見つかったのです。目標が明確だったので、再度の浪人に対する両親の反対も構わず、自分の道を進みました。
目標を定めてから、まず予備校に通いはじめました。
予備校の授業はレベル別に分かれていていました。私は志望校に合わせて高いレベルの講義を聞いていたのですが、実力が伴っていません。ついていけていない自分に気がつき、焦り、モチベーションを失いました。「やっぱり無理なのではないか」と何度も思いました。
同級生が大学生活を謳歌する中、自分だけ1人閉じこもって勉強している姿が恥ずかしく、また予備校でも年下の人に囲まれているという負い目から話し相手もいませんでした。
せっかく進路を決めたのにやる気が起きない日々でした。
そうなると、予備校に行くのも面倒になるのです。今思うと、散々怠けた人間だと思います。

ルーティンの重要性に気づいた浪人生時代
ある時模試の成績をみて、一度、レベルを下げた自分の実力に見合った講義を聞く事を受け入れる決心をしました。そうすると、勉強が楽しくなりました。勉強する教科も得意なものから取り組みました。勉強へのハードルを下げるためです。楽しいの流れにのってきてから苦手教科へチャレンジしました。
「自分で自分を褒める」「進歩する楽しみを感じる」事がモチベーションを維持する上で重要である事に気がついたのがこの頃です。
まずは、毎日授業を受ける事。通い続ける事に集中しました。浪人生としてのルーティンを作る事が重要であることに気がついたのです。
気晴らしは、大好きなお風呂でした。1日2回お風呂に入っていました。お風呂に入ると不思議と頭が軽くなり、リラックスできたのです。
今では自分は「人と違う行動」への負い目や恐れは少ない性格なのだな、と自覚しています。歯科医院開業も「早すぎる」と反対されましたし、分院展開も「無理がある」と批判されましたが全く気になりませんでした。おそらく、「人と違う」を散々経験した事が土台にあるのかもしれません。
今でも、悩んだときには「長風呂」「半身浴」をします。毎朝、お風呂場にメモ帳を持って行きます。いろいろ閃くからです。
2年の浪人の後、地元の歯学部に入ることができました。大学に入ると現役の新入生とは4歳違いですが、自分はどのような歯科医師になりたいかも明確です。学生時代の過ごし方も同級生とは違いました。部活に入らずアルバイトをしながら学費を稼ぎ日々立派な歯科医師になる目標を追い求めました。自分にとっては目標を追いかけるために入った大学なので、同級生のように遊ぶための時間は必要ないと考えていました。遅れて入ったことが自分にとっては良かったのではないかと今では思っております。
歯学部に合格した時に1番に思った事が強く印象に残っています。それは「自分も社会人として食っていけるかも」という心からの安堵です。知らず知らずのうちに人生を賭けて受験をするほどプレッシャーがあったのだと思います。それほどこの合格後の率直な感情が印象に残っています。
厳しい目標に立ち向かう時はまず、足元を見つめる。
努力する事がつまらなくなったら、まず自分を褒める。
すべてこの時期に学んだ事です。
この私にとっての「苦く厳しい青春時代」は今でも自分の土台になっています。
過去を振り返って思うこと
今振り返って思うのです。幼少期に虫歯の治療がすごく嫌だった思い出は、年月を経るとともに「僕と同じような体験をしない社会にしたい」という目標に変わりました。「野球部で仲間が嫌な思いをしないように思いやる」ことは人に対する思いやり、気持ちよく働く歯科医院つくりの土台となりました。「やりたい事を見つけるのではなく、やられて嫌だった事を自分の仕事にする」のも幼少期の経験に学童期の野球、青年期の挫折が全て合わさっての必然だったのではないかと思うのです。
大人は「やりたい事を見つけなさい」と言います。その言葉は子供を焦らせます。
お仕事選びの基準は「やりたい事」だけではなく「やられて嫌だった事を無くす」という視点でもあるのです。
「やりたい事」はなかなか見つかりません。でも「こんな困っている人を助けたい」と考えると意外と思いつくのです。
そのように思うには「今までの人生の全ての経験が無駄ではない」「良い事も悪い事も全てが自分の素晴らしい人生の一部である」と振り返る事ができるかどうかで決まるのではないでしょうか。
私が今、「お子様の虫歯を作らないように指導する」「歯科医院のスタッフに嫌な思いをさせない」「悩んで悩んで必死に見つけた職業にいられる」と思えるのも、過去の自分への肯定からくると考えています。
職業を選ぶのは難しい。それが中学生、高校生であれば、なおさら難しいのではないでしょうか。ですが、「こんな自分でありたい」「こんな人を救いたい」と考えると気が楽になると思います。
ご参考になりましたら幸いです。
執筆者

平野大輔
歯科医師
新潟市で歯科医院を3院経営しております。歯を健康にすることが身体の健康につながることに感銘を受け、予防歯科を掲げて奮闘中です。
「歯科医院は痛いから訪れる」と言う固定概念を覆そうとして、歯科医師、歯科衛生士、歯科助手受付、歯科技工士、ドライバー、SE、管理栄養士、トリートメントコーディネーター、コールスタッフ、清掃員など総勢90名で取り組んでおります。
位相差顕微鏡を使って細菌の様子を見ていただいたり、唾液検査を行い口腔内の細菌層を調べたり、口腔機能発達不全症や口腔機能低下症の検査を行い、歯に興味を持っていただける歯科医院を目指しております。
「お口の中をきれいにすることが新潟を元気にする」が合言葉です。

