八木詠美さん『アンチ・グッドモーニング』:別の戦い方をいろいろ試しているように思います。|瀧井朝世

八木詠美さん『アンチ・グッドモーニング』:別の戦い方をいろいろ試しているように思います。|瀧井朝世

「書くこと読むこと」は、ライターの瀧井朝世さんが、今注目の作家さんに、「書くこと=新刊について」と「読むこと=好きな本の印象的なフレーズについて」の二つをおうかがいする連載です。

今回は、新刊『アンチ・グッドモーニング』を刊行された、八木詠美さんにお話をおうかがいしました。

(小説幻冬2026年8月号より転載)

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八木詠美:2020年『空芯手帳』で第36回太宰治賞を受賞しデビュー。同作は各国で翻訳出版されている。24年に『休館日の彼女たち』で第12回河合隼雄物語賞受賞。

太宰治賞を受賞した『空芯手帳』が世界各国で翻訳されて注目される八木詠美さんの第三作『アンチ・グッドモーニング』は、不眠に悩む会社員、野上有希が主人公。八か月ほど前から眠れなくなり、羊を数えれば千匹を超え、本でも読むかと『罪と罰』をめくれば連日一睡もせずに読み続け……。

「私も会社員だった頃、四、五年ほど不眠だったんです。たぶん仕事のストレスがたまっていました。以前なら気にならないことがすごく気になりだし、他の人が怒られているのを見てすごく落ち込んで、頭の中がぐるぐるするようになってしまって」

野上も仕事でストレスを感じている様子。感染症の流行後は基本的に在宅勤務となったが、それゆえ有給をとっても仕事先から連絡が入り、対応に追われている。

「リモートワークって自分の裁量でできるようでいて、実は人に管理されるよりも強固に内側から自分を管理してしまう、というのは実際に感じたことです」

皮肉なことに、野上の勤務先は健康食品メーカー。社長が掲げるのは「『健幸』宣言」、口癖は「ウェルビーイング」「ビー・ポジティブ」。社員向けにアンガーマネジメント研修もあり、社内には怒りや不満は自分で解決して前向きにいこう、という風潮がある。

「本当に助けてほしい時でも自助を提唱されると、息苦しさに繋がると思います。みんな我慢だけが上手になっていくんですよね」

野上の上司は無理解だが、「誤解のないように伝えておきますと、私の前職の課長は理解のある、いい人でした(笑)」と八木さん。

野上には不思議な出会いが待っている。乳酸菌飲料の配達員、通称フラモレディの謎めいた飯沢さんや、録画のはずなのになぜか話しかけてくるeラーニングの講師の出冬覚。彼は野上に「魂を少しいただければ、あなたが眠れるようにして差し上げましょう」と言う。

「眠れない描写はいくらでも出てくるけれど、自分の体験ルポを書きたいわけではなくて、どうすれば話に動きが出るか編集者さんとお話しするうちに、eラーニングの講師がでてきました。そういえば『ファウスト』も悪魔との契約があったよなと思い、そこからだんだん膨らんでいきました」

不眠症のための読書会に参加したり、夫がなぜか「ヒヨコ」を連れ帰ってきたりと、野上の日常は奇妙な変化を迎えていく。

「編集者さんが送ってくださった柄谷行人の論考に、夢というのは、距離を奪われた現実がそのまま襲ってくるものだ、というようなことが書かれてあって。確かに、現実でも夢みたいな理不尽なことはありますよね。それで、夢っぽい現実と、現実っぽい夢がだんだん交じっていくような、お互いが等価なものとして混ざり合っていくようなところを考えていきました」

時に幻想的な展開、時にユーモアたっぷりな筆致で読ませる。とにかく文章表現がじつに楽しい。

「笑わせようとはしていないんですけれど、すごく苦しい時でも一瞬笑いを挟むとうまくいけることってある。笑いだったり冗談だったりを拡張していくうちに、現実とそうでないものの区別がつかなくなる構造になればいいなとは思っていました」

とはいえ、不眠自体は非常に辛いもの。本書の帯にある“眠れるなら、死んでもいい。”は作中の野上の言葉だ。

「眠れない時って、自分の意識があることが憎い、みたいな状態になるんです。死にたいわけじゃないけれど、自分の意識を消したいという感覚になる。明日を元気に過ごしたいだけなのに、なんでこんなに自己否定の方にいくんだろう、と思いました」

そこから終盤の展開は生まれていったという。

八木さんの文章はとにかく楽しく読ませる。小説を書き始めたのは、二十九歳くらいの頃だという。

「本を読むのは好きだったんですが、書くことはしていなくて。でも、現実があまりうまくいっていない時に、自分以外の人のことを『私』と呼んで、その人になったつもりで文章を書いてみたら、いいな、という感覚がありました。太宰賞に応募して、二回目で受賞しました」

好きな本の印象的なフレーズに選んだのは、松田青子さんの『スタッキング可能』から。

どうかなあ、こういう戦い方は地味かなあ、少しも意味がないのかなあ?

『スタッキング可能』松田青子著(河出文庫)より

「この作中の文章が単行本の帯に書かれてあって、書店で見つけた時に、そうか、私は地味に戦いたいんだと感じて。それからずっとこのフレーズは大事にしています。小説を書く時も頭に浮かべていますね。私は喋るのが得意ではないので、別の戦い方をいろいろ試しているように思います」

 

八木詠美『アンチ・グッドモーニング』河出書房新社/1870円(税込)

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健康食品メーカーで働く野上有希は、八か月ほど前から不眠に悩んでいる。快眠方法を多々試しても効果なし。ある時会社の研修動画で、講師の男がモニター越しに話しかけてきた。「魂を少しいただければ、眠れるようにして差し上げましょう」。これは一体……!?

取材・文/瀧井朝世、撮影/米玉利朋子(G.P.FLAG) 

配信元: 幻冬舎plus

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