どうして、子どもは、死んだ人を見ちゃいけないの?
フェルナンダより

イラスト:アンドレア・アンティノーリ
フェルナンダさんへ
身近な人が亡くなって、最期の別れをしたかったのに、その人の遺体を見せてもらえなかったことって、ありますか? まわりのおとなに「だめ」っていわれて、どんな気持ちだった?「どうして、だめなの?」ってきいてみた? そうしたら、なんていわれた…?
遺体を見るということは、うごかなくなった人を見るということです。ときにそれは、インパクトが強すぎるので、子どもには、つらいだろうというおもいから、おとなのなかには、見せない人がいるのです。
それに、おとなであっても、愛する人の死んだ姿を見たくないという人もいます。うごきもしない、しゃべりもしない姿を記憶にとどめてしまうより、それを見なければ、その人が生きていたころの思い出だけでくらしていけるからです。ですが、たいていのおとなは、その人の死をよりよく理解しようと、遺体を拝む人が多いようです。
さあ、フェルナンダさん。ここまで読んでみて、あなたは、身近な人の遺体を見たい? それとも、見たくない? どっちともいえない? それは、どうしてかな?
だけど、もし、あなたが、べつの時代や、べつの場所に生まれていたら、いやでも、だれかの遺体を見ていたかも。というのも、いまも地域によっては、だれかが亡くなったら、その遺体は、しばらく家に安置されるからです。いっしょに住んでいた人であれば、おとなも、子どもも、亡くなった人に、そこで別れをつげるのです。そんな風習、すてきだとおもう? それとも、ちょっとこわい?
マダガスカルという国では……
フェルナンダさんの質問とは逆に、マダガスカルのいくつかの部族がおこなうファマディハナ(骨の回転)という儀式では、遺体を見ないわけにはいきません。その部族の人たちは、7年ごとに、先祖の遺体をお墓からほりおこし、新しい布でつつみなおすのです。それから、ともに食事をしたり、遺体をもちあげ、音楽にあわせておどったりします。そして、儀式がおわると、また、お墓にうめるのです。マダガスカルの子どもたちは、この行事をとおして、先祖を尊ぶことを学びます。
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死って、なんだろう?: 子どもたちからの38の質問
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※本記事は、『死って、なんだろう?: 子どもたちからの38の質問』<作:エレン・ダシー、アンナ・フアン・カンタベッラ 絵:アンドレア・アンティノーリ 訳:小宮 由/創元社>より抜粋・再編集して作成しました。
