SNSで拡散「ノンデリ」とは何か
「デリカシーがない」「無神経で配慮に欠ける」状態を指すネットスラング「ノンデリ」が、X(旧ツイッター)などのSNS上で急速に広がり、企業の公式アカウントや一般の会話でも日常的に使われるようになっています。「ノン・デリカシー」(non-delicate)の略語であり、無神経な発言や下品な振る舞い、相手の感情への配慮が欠如している様子を表します。
この言葉が頻繁に使われ始めたのは、比較的最近の2024年以降。古い投稿も存在しますが現在とは意味が異なり、本格的に定着したのは2024年から2025年にかけて。ネットスラングとして急速に広まったことがうかがえます。
「ノンデリ」は、かつて流行した「KY」(空気読めない)と似た文脈で使われますが、そのニュアンスには違いが見受けられます。
「KY」は主に、状況や雰囲気を察することができない、場の空気を読み取れない無自覚な鈍感さを指し、悪意がない場合が多いです。一方で「ノンデリ」は、デリカシーがない、無神経で相手を傷つけるような“配慮の欠如”をより前面に強調します。下品さやガサツさが含まれることも多く、KYが「察しが悪い」寄りなのに対し、ノンデリは「配慮を意図的に(または無視して)欠く」寄りだと言えます。ノンデリは、相手の感情に直接的な被害を与える行為に対して使われる傾向が強く見られるのです。
「集団調和」の平成から「傷つき」の令和へ
「KY」が、自己責任を問われ集団の調和を重視する平成後期の風潮を反映したものであるならば、「ノンデリ」の流行は、令和時代の日本社会を反映していると言えるかもしれません。
長引く社会不安や経済の先行き不透明さ、また常時接続のデジタル環境が重なり、特に若者やZ世代でメンタルヘルスの不調を訴える声が日常化。加えて、ポリティカルコレクトネスという言葉の浸透を背景に、個々人に対する差別や“加害”に社会がより敏感に代わりました。こうした“繊細さ”“傷つきやすさ”が近年、社会全体で強調される傾向がうかがえます。
こうした情勢の下、無神経な行動は単なる「KY」としてではなく、「相手の感情を直接的に傷つける」行為として強く非難されるようになりました。ノンデリという言葉は、KY以上に相手から受けた感情的被害を強調する形で流行しており、自身の「傷つき」に敏感になった日本人の意識を象徴しているとも言えるでしょう。SNSの影響で他者の言葉が即座に拡散・批判されやすい環境も、繊細さを増幅させ、無神経さを「ノンデリ」としてラベリングする文化を生んでいるとも言えそうです。
X上での「ノンデリ」の使用例を見ると、多くは日常の人間関係などに対する不満に関して使われているのが見て取れます。例えば、電車内での大声の会話を「ノンデリ」と指すなど、下品でガサツな言動への批判として使われたりしています。
さらに、「完全な健康者かノンデリしかうまく生きられない世の中」「(仕事などについて)虚無感に屈しない性質を持つノンデリか、ハイパーメンタル強者しか残らない」といったように、「無神経でタフ」な性質を冷笑的、場合によってはポジティブに転用する人物分析の文脈でも使われているようでう。これは、メンタルが強い人はノンデリである可能性があるため、周りが傷ついても気づかず気に病むことがない、という構図を表現するもので、「傷つきやすい人」と「ノンデリ」の対比が鮮明です。
「優しい人というのは、自分が傷つきやすいから相手にされたくないことを自分もしない人。ノンデリな人は、自分のメンタルが鋼だから相手も同じだろうと行動や言動を省みない人」という投稿は、ノンデリという言葉が現代人の繊細さを象徴するワードとなっていることを示しています。「ノンデリ」はKYの現代版として、今後も日常のコミュニケーションで使われ続けていくのかもしれません。
(山嵐冬子)

