
ベッドにごろりと寝転がりお天気アプリを開いてみたが、この先1週間、見事なまでにずらりと、雨マークが並んでいる。海に行くのも、山に行くのも…・・とスマホをスクロールしていると、ふと目に飛び込んできたのは真っ暗な夜の闇の中ぽつりと灯る、本屋の明かり。店の名前は、「本屋 ひとりごこち」といった。「ひとりごこち」好きな響きだ。その響きに惹かれ、私は次の行き先を決めた。
そうして今日、麻布台ヒルズでの撮影を終えて、地下鉄から西武池袋線に乗り換え、いそいそと飯能へと向かっている。平日の夕方に、普段乗らない電車に乗って出かけるというのは、まるで小旅行のようで少し心が躍る。雨の日の車内は、絶妙に生温く気怠げな空気で満ちていて、とても静かで、冷房の音だけがやけに大きく響いてくる。ねむい。雨で街が霞んで、窓の外の景色がぼんやりと輪郭を失ってゆく。暖かくて、心地よくて、やっぱり少しねむい。

電車は静かに、駅のホームに滑り込んだ。外は、強い雨。飯能駅から書店までの道を、至るところにみずみずしく咲く紫陽花を眺めながら、傘を差して進む。どこまでも続くかのように思える住宅街を歩いていくと、遠くの方に、暖色の明かりが見えた。店の前の傘立てにずらりと並ぶ傘もまた雨の日ならではの光景で、こんな天気の日の“写ルンです”はほぼ写らない(ンです)とわかっているのに、ついシャツターを切ってしまう。
なにを読もうかなあと店の中をぐるぐると歩き回った後、いちばん上の棚に置いてある1冊の詩集に目が留まった。少しざらついた優しい風合いのグレーの表紙と、手にすっぽりおさまる小ぶりなサイズ感が気に入り、せっかくだから埼玉らしいものを、と狭山茶を読書のお供に選んで窓際の席に着く。「狭山茶をつくる茶畑は、狭山だけじゃなくて、ここ飯能にもあるんですよ」とお店のお兄さんが少しはにかんで笑い、カップにそっと注いでくれた狭山茶は、5月の茶畑のように澄んだ薄緑色をしていた。

月、と言えば、ふと思い出したのはもう十年も前の夏の夜のこと。社会人になってすぐの私と友人たちは信じられないくらいに体力があり余っていて、河川敷の花火大会で人混みに揉まれた後、特に目的もなくレンタカーを借り、房総半島の先、館山へと夜中の高速を直走った。
半島の先端にたどり着くと、そこには夜中の真っ黒な房総の海と、まんまるの満月があった。翌朝早くから仕事だということも忘れて、海の上に伸びる月の道をただ見つめたあの深夜3時のこと、スマホからは大好きなクラムボンが歌う「波よせて」が波の音に紛れて流れていたこと、そんなのもう、とうの昔にすっかり忘れていたはずなのに、月のうたを読んでいたらその時の景色が突然ふと脳裏にそっくりそのまま蘇ってくるのだから、人間の記憶とは不思議なものだ。
書店からの帰り道、空を見上げてみたけれど、もちろんそこに月は見えない。ただしとしと、雨が降り続いている。まだ夢の中にいるような心地で住宅街を歩きながらふと後ろを振り返ると、夕闇の中に、「ひとりごこち」のやわらかい明かりが、月のようにぼんやりと浮かんでいるのが見えた。
<今月の1冊>

月のうた
どこから開いてもそこに「月」が見つかる、同時代の歌人100人がうたった100首の「月」の短歌アンソロジー。
購入した書店/本屋 ひとりごこち
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