2024年12月、北九州市のマクドナルドで中学3年の男女2人を殺傷した容疑者の男性について、福岡地検小倉支部が2度にわたる精神鑑定を実施し、最終的に「心神耗弱」状態として起訴する方針を固めたと西日本新聞(9月14日付)が報じました。
報道によると、容疑者は面識のない被害者らに対し「笑われたと思った」と動機について供述しているそうです。
また、精神鑑定は2度にわたり実施。1度目の鑑定では刑事責任能力に問題はないとの見解が示されました。2度目の鑑定では、容疑者に「妄想」の症状があり、これが事件に一定の影響を与えたものの、完全に責任能力を失うほどではなかったと結論付けられたといいます。
SNSなどでは「なぜ厳罰を問えないのか」という声も上がっています。精神疾患を抱える被告の刑事責任はどのように定められているのでしょうか?
●「心神耗弱」認定の法的な意味とは
刑法第39条では、「心神喪失者の行為は、罰しない。心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」と規定されています。
心神耗弱とは、精神の障害により、事物の理非善悪を弁識する能力(事理弁識能力)または弁識に従って行動する能力(行動制御能力)が著しく減退した状態をさします。
おおざっぱにいうと、「事理弁識能力」とは、自分の行動を「悪いことである」と理解する能力です。「行動制御能力」とは、「悪いことだからやめなければ」と判断して、悪いことをしないという行動ができる能力です。
今回のケースでは、容疑者に妄想症状があったものの、殺人が悪いことであるという認識や、その認識に基づいて行動を制御する能力が完全に失われていたわけではないと判断されたものと考えられます。
法律上は、心神耗弱が認められた場合、殺人罪の法定刑(死刑または無期もしくは5年以上の拘禁刑)から刑が減軽されることになります。
ただし、これは無罪を意味するものではなく、依然として刑事責任は問われます。
●精神鑑定は裁判でどのように扱われるのか
「医師の鑑定結果に裁判所は従わなければならないのか」という点について、多くの人が疑問に思うでしょう。結論からいえば、裁判所は鑑定結果に法的に拘束されません。責任能力の最終的な判断は、あくまで法律判断として裁判所に委ねられています。
少し専門的な話になりますが、先に書いたとおり、責任能力の判断では、「精神の障害」により、「事理弁識」「行動制御」の能力が欠けていたかどうかを判断するわけです。
そして、その判断の資料として提供されるのが鑑定です。裁判所は、鑑定の医学的見解を踏まえつつ、責任能力の有無を判断します。
ただし、医学的・心理学的な部分については、精神科医の鑑定の専門性がある程度尊重されるべきでしょう。
最判平成20年4月25日は、精神の障害の有無・程度については、専門家である精神医学者の意見が鑑定として提出された場合、鑑定人の公正さや能力に疑いが生じるなど合理的な事情がない限り、その意見を十分に尊重して認定すべきとの判断を示しています。
話が難しくなってきましたが、おおざっぱに理解するなら、
1)「精神の障害」があるかどうかは、医学的な判断が必要
2)その障害のために、「事理弁識能力」や「行動制御能力」が影響を受けたかどうかは、心理学的な判断が必要
3)その結果として「事理弁識能力」や「行動制御能力」が欠けていたり、著しく減退していたかというのは、法的な判断
という関係にあります。
1)や2)の判断については、精神科医などの専門性が尊重されるべきだ、と考えると少しわかりやすいのではないでしょうか。(実務はもう少し分析的に検討します)
逆に、鑑定書が3)について言及していても、その部分については法的評価の問題ですから、裁判所や、起訴をするかどうか判断する検察官にとっては、あまり参考にならないと思われます。
このように、医師は医学的な事実を、裁判所は法的な判断をそれぞれ担当する役割分担をしているといえます。

