今年の夏に、『衰えません、死ぬまでは。』を上梓した宮田珠己さんと、『このロボで、行けるところまで行くしかないのだ。』を上梓したスズキナオさん。歳をとるとは、死を考えることでもあるわけでーー。対談最終回!(対談バックナンバーはこちらから→その1、その2、その3)
撮影:菊岡俊子
(写真:編集部)
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「没頭」と「無我」
スズキ 没頭するぞという時の、自分を捧げるというか、自分がいつもの状態じゃない状態に入っていくのが怖いのかもしれないですね。怖いっていうか、それがうまくできないという感じがあるのかもしれないです。いろいろな世界を見てみたいって気持ちはあるんですけど、冷静になってしまうというか、これはここが面白いんだろうなと考えてしまう。そんなことは忘れて、熱狂したらいいのかもしれないけど、いつも俯瞰しようとしてしまって。だから、没頭したいと思っても、したいと考えている時点で、もうできないっていうか、本当の没頭は向こうからやってくるものなんだろうなという。
宮田 ジェットコースターいいですよ。
スズキ ジェットコースターですか。それこそ年々、高いところが怖くなって。でもまだ絶対に嫌というほどではなくて、たまにはちょっと乗ってみたいと思うんですけど。
宮田 無理やり上げてくれる。僕にとってはそうだな、本当にちょっと我を忘れちゃう。
スズキ それは定期的に乗るんですか?
宮田 年取ってきてそんな行ってないですけど、もう40ぐらいまではバンバン乗ってました。最近サウジアラビアに世界一のができて、乗りに行きたいなと思いつつ、サウジアラビアまでそれで行くかどうかっていうとちょっとためらってますけど。でもまあ。無理やり自分を上げてくれるもので。僕はそういうものでしたね、コンサートとかじゃなくて。
スズキ そこは人によって相性のようなものがありそうですね。

宮田 あとは海の生き物とか見ますね。潜って生き物を見てると我を忘れちゃう時ありますよ。無我になりたいですね。
スズキ そう、無我になりたいですね。無我を探してる気がしますね。で、これも違う、これも違うと言い続けているような。
宮田 僕は山やってた時期があって。雪山とか結構、ハマってる人がいるから、やってみたんですけど、10回ぐらい行って怖くてやめちゃった。でも、怖いものに飛び込んでいかないと、無我は見つけられないんじゃないかみたいな気持ちはあります。
スズキ そうですね、昔、シュノーケリングとかダイビングをして、こんなにも多様な生き物がいるのかと感動したんですけど、人間をまったく寄せ付けない世界みたいなものが怖くなるという感じはちょっとだけわかる気がします。体力をつけなくても感じられる無我みたいなものはあるんですかね。写経とか、そういうことものとか。
宮田 あっちの世界は、もう逆に研ぎ澄まされそうな気がしちゃうんですよ。ちゃんと向き合ってしまいそうな気がするから、ごまかしながら生きてるから……。
スズキ ごまかしながらの無我。それを探すっていうのが面白いですね。無我を探すことを、これから意識していきたいです。
宮田 集中できるものをね、ほっといてもそればっかり考えちゃうものを探したい。そしたら死ぬ時もそれで、無我の境界のままポコって死ねるんじゃないかみたいな。やっぱり本当に二十歳の時に寿命を宣告されたような気がして、今思えば、普通はこんなもんで15年暮らすと癌になっちゃうんですよ、みたいな話だったんだけど、そんなこと知らないから、君は15年で癌になって死にますって言われたと思い込んじゃって、すごく真剣に怖くて、死刑宣告みたいで真っ暗になっちゃって。それから、気をそらそう、気をそらそうって、必死だった時期があって、だんだんどうでもよくなったんですけど、その時からかな、無我を探すようになったっていう。
スズキ そうですね、だんだん、人生の限りある時間とか、死というものが強く意識されるようになってきて。自分の意識というものが重たすぎて、扱いに困って、もうちょっと軽く思えたらいいのになと感じます。
「老い」について書くには、まだまだ若い――⁉
編集 自分の年齢とか老化について一冊書いてみて、何か変わりましたか。
宮田 多分僕はね、変わってない。変わろうとして変われなかったって感じ。筋トレしようと思いながら、やっぱりしてないみたいな。で、だから本気で変わろうと思ってないんじゃないのっていう自分に対してツッコミを入れる自分がいて、ネタでやったの、みたいに自分に思ってるとこありますね。筋トレ続けないと、なんか責任を全うしてない感じで。

スズキ じゃあ、筋トレは今は……。
宮田 今もほとんどやってないです。散歩しかやってないですね。ちょっと肩を怪我して、結局それでできなくなって、肩はあんまり痛みはないんですけど、そのままずるずるやってない。変われなかった。でもほら、スズキさん、誰かとの対談の中で言ってた、70ぐらいの人が老化を語ってるのに、自分が老化を語るのはまだ早いみたいな。その感じはありますよ。若い人から見たら年寄りだけど、年寄りから見たらまだ若いという立場だから、まだちゃんと真剣に老化を書くほどの権利はないっていうか、そこまでの資格はまだ得ていないというのと、でも自分は老化を意識してしまっているっていうのは、ちょっと宙ぶらりんな感じしますね。70を超えたら語っていいみたいな。「死ぬまで」みたいなタイトルで良かったのかな、ってちょっと思ったりする。まだ死ぬ年じゃねえだろっていう。その時は勢いでつけたんですけど。
スズキ そうですよね。私も、自分が老いみたいなことを語るなんて甘い。まだまだそんなこと言ってる年齢じゃないだろうって、叱られそうだと思いながらずっと書いてたし、元気な先輩方もいますし、こんな悩みなんか、みんな普通に乗り越えたりしてるんだろうなと思いながら。とはいえ、とりあえず今の自分はこんなことを考えているということを、確認しながら書いていったような感じだったんです。これを書いてたことによって、岸さんと対談させてもらったり、中年仲間たちとお互いの現状について話したりできたんですけど、そうやって老いをきっかけに色々な人と話し合えるって面白いなとは思ったんですよね。これからも老いがさらに深まっていくわけだし、例えば、宮田さんが先に書かれていたことが、さらによくわかる日が来るのかもしれない。慎重に自分の変化を見ておくと、今まで先人たち、先輩たちが言ってきたことが、意味を増していくんだろうなと。自分の変化に対してこれからも目を向けながら、またいつか老いをテーマにして文章を書けたらなと思います。今回の本の執筆を通じてその心の構えを身につける練習ができた気がします。
撮影:菊岡俊子
(対談はこれにて終了です。ぜひ、お二人については、ぜひそれぞれの新刊でお楽しみください)

